公演中でもネタバレします。Google+ から過去ログも加筆移行中(進捗 7 割程度)。

『超、Maria』 / 別冊「根本宗子」第8号

わたしの 不幸 が だれかの 幸せ

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お仕事にんげんの、なかなかおうちに帰ってこないお父さんをもつ、ふたりの女の子がいました。つぎはいつ帰ってくるのだろう。そうたずねたときの、お母さんのかおを、彼女たちはきっと忘れることはないでしょう。

教室の座席は前後どうし。境遇の似通ったふたりは、どこか縁を感じ、いつしか無二の友人になっていきます。

ちちおや参観にも彼女たちのお父さんだけが来ません。
お父さんの見にきてくれているクラスメイトたちは、自慢げに作文をよみあげます。
「わたしのおとうさんは、いつもしちじにはかえってきます」
「おとうさんはいえでおしごとをしているので、いつもいっしょです」
「うちのおとうさんはせんぎょうしゅふです」

…ふたりは思いました。

よのなかのお父さんって、いがいとだっせえ。いそがしいってのは、かっこいいことなんだよ。

あえない時間を、お父さんを想像することにあてたふたりは、想像力こそがひととの距離感を、みずからの心を、ゆたかにしていくのだろうと言い聞かせます。無二の友人に対して。自分に対して。
それでも。
こんどの休日、お父さん帰ってくるんだ。
そう語る無二の友の、屈託のない笑顔を見たとき。
その日はお父さんにあえないことがわかってるわたしは、
どんな顔をしていたらよかったのだろう。
その表情を見たもうひとりのわたしも、
逆の立場のときのじぶんはきっとこんな顔をしているのだろうと。
そう思ったとき、友人の顔が、自分の表情が、
脳裏に焼きついて離れなくなってしまうのでした。

そんなある日。

あれ?あそこにいるのお父さんじゃん?

え、どれどれ?あ、わたしのお父さんもいるよ!おーい!

え?どこどこ?

ほら!あの車にのってる、

えっ?だって…

……え?

ヒン!ヒン!ヒン!ヒン!ヒンィ!ヒンィ!ヒンィ!ヒンィ!

* 映画『サイコ』のサスペンスシャワーシーンにて流れる擦弦音

THE MODERN PLAY FOR お父さん、か??

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庭環境と女の子/女、というのが話の臓物ではあるけれど、頭と尻尾に提示される想像力と自意識の相関、そしてそれらの作用と反作用について鑑賞中から考え込んでしまった。誰かの不幸が私の幸せ。リファレンスの取りかたさえ間違えなければ、こじらせの世界も少しずつ変わっていくはずなのに。

他人の想像力に苦しめられているはずの人間も、全く別のコミュニティでは想像力の欠如で人を苦しめてる。ドミノっていうよりは座標の取りかたの問題がするんだよな。やめようこんな話。いやまあこんな話ばっかりだよ、ねもちゃんの芝居。そこがたまんないから観に来てるんだよ。なんだこれつれえよ。でもとめらんないんだよ。たのしい。たーのしー!ぴぃ~。

怖い。指紋がなくなる。

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いちばんにはなれないけど三番手はぜったいいや、二番手がいい、でもなれない。気を引けるのは窃盗より入院、ふたを開けたらスマホ依存。相対のチョイス。反転する正と負。黒と白。

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昨年末の 『今、出来る、精一杯。』 、正直ものすごい 10 年間の集大成もってきたな、と思ったんだけど、11 年目アタマのこれが規模感やアプローチ含めてユニット「根本宗子」の集大成みたいな感じして。 月刊第 11 号の『超、』 、あのぶっ飛んだ本公演から始まったといってもいい私の内的な爆発から 5 年、キャリアの半分に過ぎないけど追っかけてきた経緯。それが今回の別冊『超、』で整って締まった感じがすごくしている。それは「ブス、ババア、メンヘラ」をリアルで言われる側だった頃… 2015 年の根本が月刊第 11 号『超、』のカーテンコールで放った叫びを髣髴とさせる為かのように劇中でぶちまけられる「あいつはいつまでもわたしより 3 歳年上だからババア」の歌(最悪すぎる、、)のかたちをとっていたり。あるいは 2018 年初頭から急に不連続に鮮明に残るようになった観劇の記憶のほぼ初っ端が縷縷夢兎の装飾に包まれた 『バー公演じゃないです。』 で、その再演が片割れとしてここで現れていたり。そこからなだれ込む本公演、屈指の一本としておそらく一生残る 『真ん中』 を経て 『ポリー』 から少しずつ支配的になってくる音楽要素、もとい 10 周年の出だし 『クラッシャー女中』 では生音での成立が難しかったようなチャラン・ポ・ランタン小春のアコーディオンミュージックが、カルテットの形をとってついにバンドサウンドで実現していたり。マクロにもミクロにも、オフィシャルにも私的にもここに集約された感じがすごいんだよ、こういうのを記念碑っていうんじゃないのかな。だから 10 周年エクストラ公演みたいな感じがしているんだけど、11 年目のスタートであることにも間違いないし。そもそも何年目だから不連続にどう、みたいなわけでもない。区切って整ったから終わりじゃあない、これからも改革されていきたい。常に今みている演劇がいちばん楽しいと、いい。

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あとこれは本当に思ったんだけど久々に自分の本でがっつりフロント張ってるねもちゃんってめっちゃくちゃ久しぶりじゃなかったでした?結局それが今回いちばんの感慨であった気がします。

あと。かなちゃんがオジサンの臭いを好きなのなら。今回痛感したんだけどわたし松永姉妹の声どつぼなんだわ。

あと最近の小春お姉様の整いかたは、まじでやばいんだわ。

あと美術についてなんだわ。

縷縷夢兎による舞台装飾はスパースになっていたような。

って、速度を出して 前のエントリ で書きましたけれども。やられましたね今回。黒の足し算。見事に誘導されてただけ。でも『ballerina』は『ballerina』で、白のフリッフリでぐっしぐしに埋め尽くしてほしかったとも思うんですよね。『超、』でのこのやられた感は出なくなったかもしれないけど。このあたりの美術のせめぎ合いもありそうな気がしなくもないし、また裏話きいてみたい。本当に最近のスタッフ陣は整ってる。座組の幸せは、観客の幸せです。これは座標の取りかた関係ないです。紛れもない。


別冊「根本宗子」第 8 号 『THE MODERN PLAY FOR GIRLS』
超、Maria

  • 作・演出 根本宗子
  • 舞台装飾 東佳苗(縷縷夢兎)
  • 音楽 & 二人に纏わる人間の声
    • 小春とカンカンバルカン楽団
      • 小春 Accordion
      • ふーちん Drums
      • オカピ Tenor Sax,Flute
      • 舞子 Violin
  • 出演
  • 開演 2020-01-29 20:00
  • 於 KAAT 神奈川芸術劇場 大スタジオ