公演中でもネタバレします。Google+ から過去ログも加筆移行中(進捗 7 割程度)。

『昼下がりの思春期たちは漂う狼のようだ』 / アンカル

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「学生時代に戻りたい」という想いの背景には、いかなる含みがあるのだろう。時間を遡行したいという希求に囚われるとき、遡行願望ゆえの(現在の)記憶の保持と過去の「リプレイ」、あるいは過ぎしタイムラインの改変願望も前提として織り込まれている可能性はないか。だとすれば、事実上不可能なその遡行/改変願望に対しては、学生生活を題材とした創作が、最も近い欲求昇華の機能を果たすのかもしれない。

その場合、役者が等身大でない方がむしろ鑑賞者の感傷を増幅しうる可能性に思いを馳せる。今回のように 10 年後から振り返るようにリプレイされる芝居において、あの頃中学生だった自分たちをを 20 代半ばを中心とした座組が演じることが、学生演劇の瑞々しさとは大きく性質を異にする役者たち自身のノスタルジーの、所々に入り込む余地を生むのではないかといったような。ターニングポイントの確信。衝動への後悔。あの頃の自分への問いかけ。演者に内在化されたそういったエネルギーをエチュードによって抽出していき、多層的な青春群像劇としてまとめ上げたのが本作初演だったのではないかと思う。

…見逃したことを些か後悔した演劇引力廣島の演目が、まさか再演されるとは思わなかった。それは座組の持つエネルギーの奔流を、その期間に限って固定する手法としての作劇だったらしいと知っていたからで、なかなかそのような一回性の演劇を再演するということ自体、成立しにくいと思い込んでいたから。そういった文脈の作品をタイトル・役名(役名は一部を除いて初演の役者の名前をそのまま使っており、再演においても初演の役名が引き継がれている)そのままに再演していることからも、今回は初演とは異なる「他者発のエチュードのトレース」が上演テーマのひとつになっていたような匂いがある。一部の役者は初演と同じとはいえ、それでも多くが「他者によって咀嚼されてゆく初演の少年少女たち」であるという構造は、やはり青春の追体験という側面を強めるのだろうか。

この再演を成立せしめたのは、2 年弱の中で喪われた数多の上演芸術と、それらを内々に蓄積し続けた役者たちのあてどなかったエネルギーであったのかもしれないし、あるいはエチュードから作り上げていくような堅実に寄り添えるワークショップを、未だに開催しづらい稽古事情の関係かもしれない。いずれにせよ、今だからこそ触れたくなるような空気感をもって少女「ゲン」と共に、それは広島からやってきた。恨(ハン)に根ざしているのであろうソジンと彼女の母の行動は、初演のソジンの役者である李そじんや彼女の所属する劇団である東京デスロック多田淳之介の持つエッセンシャルな部分を受け継いでるのではないかとも感じることができるけれども、 『母と惑星について』『まほろば』 に見え隠れする蓬莱自身の家庭/母親像ともオーバーラップする。荒涼とした、それでいて湿度もある陰。このあたりの心的なテンションは昨年の 『外地の三人姉妹』 だけでなく、偶然か必然か今年復刊した柳美里『8 月の果て1』ともリンクする。ノードが大して離れていないからなのか、あるいは心象はこのようにシンクロするものなのか。繰り返すが、本作は成り立ちを考えればその場限りの上演となっていたであろう作品の再演に見て取れるのに、だ。


  • 出演(太字は初演からの続投)
    • 天瀬はつひ
    • 安齋彩音
    • 池ノ上美晴
    • 伊藤麗
    • 伊藤ナツキ
    • 榎本純
    • 江原パジャマ
    • 大河原恵
    • 大西遵
    • 小口隼也
    • 笠原崇志
    • 蒲野紳之助
    • 堺小春
    • 田原靖子
    • 中野克馬
    • 名村辰
    • 南川泰規
    • ばばゆりな
    • 藤松祥子
    • 益田恭平
    • 瑞生桜子
    • 森カンナ
    • 山岸健太
    • 山田綾音
    • 山中志歩
    • 山西貴大
    • 吉岡あきこ