公演中でもネタバレします。Google+ から過去ログも加筆移行中(進捗 7 割程度)。

『愛犬ポリーの死、そして家族の話』 / 月刊「根本宗子」第16号

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森家の四女 花[演:藤松祥子]の 22 才の誕生日。愛犬 ポリー[村杉蝉之介]と 2 人で暮らす彼女の家の下に、姉夫婦 3 組が集まってくる。

  • 長女の旦那 俊彦[用松亮]:ミソジニーのデブ
  • 次女の旦那 祐也[岩瀬亮]:重度のマザコン
  • 三女の旦那 真一[田村健太郎]:浮気性の子役くずれ

という極端にカリカチュアライズされた 3 人の男に居室を土足のごとく踏み荒らされたその日、花とポリーとの間に訪れる突然の別れ。ペットへの一方通行かつ無条件の愛と、花の少女性の終焉。この裏で、花の今後を決定づける作家との出会いが始まっているのもまたいやらしい。

チャラン・ポ・ランタン小春の音楽に合わせて早回しで語られる花たち森姉妹の人生。駆け落ちする母親。ショックのアル中から父親は他界。ポリーとの出会い。破天荒なばあばに馴染めずポリーとしか会話をしなくなる花。姉のひとりが交通事故でびっこ引き。ばあばも死んだ頃には引きこもりとして完成をみた花。ポリーと、彼の拾ってきた「とりいしゅういちろう」の本があればそれで充分な彼女の生活。

かつて、名もない人々が語られない言葉を吐き出す場所として描かれた伝言ダイアル1パソコン通信2。インターネットに SNS が普及したあたりで、名もない人々にも個が付与され、もはや「逃げ場なんてない3」場所になっている。純粋に生きてきた花にはそれがわかっていないから、3 人しかいない自分のツイッターのフォロワー、そのうちのひとりのアラブ顔の男性が、日本人のエゴサーチ性的搾取おじさんであること、そしてその男性こそが彼女の心酔して止まなかった作家、鳥井柊一郎[村杉蝉之介]であることにも気づかずにいた。ポリーが死んだことを書き込むまでは。

ここから感情のジェットコースターに翻弄され続ける花の動きには、藤松祥子が 2 週間弱の代役稽古で体得したであろう表情や感情の根底に、 『バー公演じゃないです。』スマホ中毒女を演じた青山美郷4の身体表現に通じる軸も垣間みえた気がする。

花の視点から鳥井に語られる形で再現される、3 組の姉夫婦像。長女 杏花[瑛蓮]は旦那 俊彦のミソジニーと根拠なき断定にがんじがらめに拘束され、子どもが鎹に、アロマキャンドル造りが心の支えになっているように見える。花の語る長女夫婦の風景をまた俯瞰する次女や三女は、花と同じように俊彦の咳に辟易し、その DV に怒り、また咳に辟易する。かつて母親に行わせていた性欲処理を嫁である次女 窓花[小野川晶]に託さんとする旦那 祐也の、その出だしから歪みきったお見合い結婚の顛末が語られる頃には、俯瞰時には様々な表情を見せる長女たちも、それが離婚談義に発展するときにはどこか現実的な妥協の貌を見せていくように。三女 優花[根本宗子]の旦那 真一の浮気話が語られる時には既に花の直接的な物語への介入、そして鳥井の俯瞰はそこに無く、関係の発展していった二人の意識は逆に三女夫婦のやり取りを浸食し、俯瞰の視点にいた他の旦那の行動すらも掌握しはじめる。この俯瞰する姉たちという像は、あるいは花の組み上げた幻、鳥井に出会う前に花が拠り所としたかった姉たちの姿なのかもしれない。時に黒子のように動く旦那たちはまた、花が鳥井に出会うまでは知り得なかった感情のガイドラインのようである。

アロマキャンドルを作ることでしか安寧を得られない姉たち。ただ増えていくだけのキャンドルよそに、花は鳥井のために変わっていく。鳥井も「お仕置き5」のためとはいえ、その花の変化に遅れまいとす。ここで花を語る姉たちは、それまでの姉たちを語る花のようでありながら、彼女たちは鳥井という「新しいポリー」の存在を知ることはない。もちろん、彼が犬ではなく、人であることも。

俊彦の咳に代表されるその不快な旦那たちの一挙手一投足は、誇張はあれどどこか理解できる性を感じることができるように作られている。時に怒りを伴う感想も散見されたけれども、私は何故か今回、ものすごく俯瞰した目で鑑賞していた。舞台脇で辟易を露にする姉夫婦たちとは異なって、舞台奥の花の部屋から少し他よりも引いた目線でリアクションする鳥井よりも、さらに冷たかった。三女が花と同じように鳥井に手を出され、びっこを引いていた足が動きすらしなくなり、旦那の浮気に当たるわけでも自己の安易な復讐心に後悔するわけでもない当てどない喚きを上げる根本の、いつもなら突き刺さったかもしれないその叫びにも、全く心を動かされなかった。

ただ、冷静に観ていられたのもそこまでだった。機能不全な家庭に生まれた子どもが他人に何を求めるか(これはあまり共感できなかったけど)。情報を後出しにされること。その“後出し”も受け手側がどう感じるかの問題であって、出す側の意図に依らない分、そこまでの一人相撲がとても惨めなものに感じられること。フェアではないことがわかった瞬間の、信用が潮のように引いていく感覚と、その後の埋め合わせには途方もなくエネルギーを使っていかなければならないこと。こういった感情を語っていたときの藤松が、とてつもなく花という人間を生きていたこともあって、気がついたときには物凄く傷ついていた。

ラストシークエンスには少し理解できなさもあって。鳥井のせいで壊れに壊れた森一家が、花を後押しするような風景。車椅子が運命づけられたはずの三女が普通に立って歩き、鳥井に嫁を傷つけられた真一が鳥井を演じていること。彼らはおそらく、それまでの花の語りの中で俯瞰に徹していた花の中の幻なのだろうけど、「ポリーを殺した」彼らしか、花の周りには彼女を正当化してくれるような存在、すなわち“鳥井以外の”他者は誰もいないのだという事実を表してもいる。現の存在ではないであろう彼らに後押しされるように、花は自身で鳥井との関係性の再開を決断する。この、“決断する”という段階において人間はどこまでも独り善がりになる瞬間があるはずで、そこに至るまでの花の葛藤も、鳥井の家族が恣意的に描かれないことの気持ち悪さも、「あなたはそんなに運の悪い子じゃない」という「長女」の言葉も全て、再開を伝える前の花の、涙ながらにそっぽを向くその一点に凝縮される。ただ、そこに至るまでの一切に、惨めさを滲ませることのなかった花を、とんでもなく強いなと思える。

表層だけをなぞると危険な芝居だと思う。あらぬ方向への自己正当化へも転用されうる危うさがあって、観る側のリテラシーを試されているようで。だから手放しで絶賛できるようなものでは、確実にない。言えるのは、決断することと、それに自ら責任を持つことの強さについて。他人に流される人生や、その片棒を担がされる人生なんて。これはきっと 『夢と希望の先』 における幸子の「優ちゃん。私はいつになったら幸せにしてもらえるの」に対するアンサーな気がして。あの本多劇場からの 2 年間を肯定しているのだとしたら、そこなのではないだろうか。

それにしても最後にラジカセからかかる "I Don't Need Anything But You" のチョイスの意地悪さといったらないな。もうまともにアニー観られないじゃん絶対。気味の悪さを通り越してきたその加速と、花の、あるいは藤松の、あの表情に撲られて涙が止まらなかった。綺麗すぎる。

  • 本多劇場
  • 開演 2018-12-31 21:30
  • アフターイベントあり
    • 宮崎吐夢の進行(録音)によるカウントダウンとたむけんいじり。新年になったらバイト君(村杉)がグループ魂『ともかず』をカラオケで熱唱(ぶっつけ)。その後、根本の一人芝居を経て終演。
      • 一人芝居は、2004 年、事故で車椅子生活となり、夢だったモーグル選手を諦めざるを得ず失意のどん底で演劇に出会った頃の根本自身と、本多劇場で『愛犬ポリー』千秋楽を終えた今の彼女との、対話劇。最後に訳詞版アニー『Tomorrow』を歌いながら、翻訳による情報量やセンスの消失の無い、はじめから日本語で作り込まれたかっこいいミュージカルを次の 10 年の目標に、といった旨の宣言をもって終幕。

  1. 第三舞台ピルグリム』。

  2. 第三舞台スナフキンの手紙』。

  3. モダンスイマーズ 『悲しみよ、消えないでくれ』 にて、正確には「もう、電波から逃げられる場所なんて、ないよ」という台詞として。

  4. 青山美郷にアテ書きされたであろう花の役、その動きまでもを、僅かな代役稽古の期間の中でモノにし、あの感情まで昇華させた藤松祥子は本当に凄い。

  5. 世間知らずの花に対してはそのような単語を用いているが、要するにわいせつ行為。