劇みてんのか!

【再鑑賞】『夢と希望の先』 / 月刊「根本宗子」第13号

★★★★☆

あらすじ

初回のほうに書いてある。

cobayahi.hatenablog.com

可逆的な再鑑賞性が必要であるという主張

  • BS スカパー! STAGE LEGEND NEXT での録画放送で観た。視点は制限されるが、顔のアップなど、良い部分もある。

    • 生モノは、本当にその場きりの上演だとその時の自身とのマッチングでしか感想などを抱けないので、後に見返してどう印象が変化したか、といったフィードバックが無い。これはとても勿体ないことだと思う。

      • それ以前に、良い芝居がその時チケットを取ることのできた観客の間にしか共有されないという状況1そのものが、おそろしく勿体ない2

再鑑賞して

なお、リメイク前の『夢も希望もなく。』は未鑑賞。

さっちゃんのセクシーカレー
  • 『夢と希望の先』クライマックスで使用される大森靖子の楽曲であり、初演(正確には原作)『夢も希望もなく。』の 1 年後にリリースされている。詞に『夢も希望もなく。』とリンクする感覚を得たという根本のインタビュー、ならびに「観たい終盤のカットから逆算して芝居を組み上げていく」ことがあるという彼女の作劇手法をどこかで読んだ記憶があるから、おそらくリメイクの軸はこの楽曲と、それを上手・下手を超越した時間軸で歌唱する幼馴染の友人、という画作りが念頭にあって、そこから初演との差分が組み立てられていったのではないか。

    • 主役の名前が、楽曲の登場人物に合わせて「ちひろ」から「幸子(さっちゃん)」に変更されている。

    • えつこ(えっちゃん)の属性が、看護師志望からミュージシャン志望に変更されている。

    • 上手でも下手でもない第三の舞台、すなわち舞台美術の 2 階部分であるえっちゃんの実家の軒先、はおそらくリメイクで追加された構造と思われる。脚本の必然性やえっちゃんの属性変更から考えると、えっちゃんの姉貴もリメイク前には居ない可能性すらある。

  • トライアングルのように分割された上手・下手、そして 2 階という画の先に作り得るのは、時空の「壁」を突き破るように出てくるお立ち台のラストシーンでしか有り得なく、ひいては後述するタイトル変更にもつながっていくのかもしれない。

タイトル変更
  • リメイクに際して芝居のタイトルがポジティブになってはいるが、幸子の状況は芝居の終盤で人生どん底そのものであり、相変わらず夢も希望もない。

  • 同じく芝居の終盤、ゆうちゃんのために変わらんとまず髪を「ゆうちゃん色に」染めようとするさっちゃんから見えるヴィジョンは、夢と希望の先。まさに目と鼻の先、上手の部屋に、ゆうちゃんにキ○○イとも揶揄されるババアのさっちゃんが顕現するのだが。

    • リメイクに際して、終盤の力点が 10 年前の「さっちゃん」側にシフトしたという状態をタイトルにフィードバックしたのだとすれば、タイトル変更も、〆を橋本愛が行う意味も、半ば強引に持っていくラストカットにも、現実感が出てくる。
〆のさっちゃん、橋本愛、そしてミュージカル

きっとこれは、ババアの私の妄想だけど、
でも、良いイメージを持って前に進むために必要なアタマのおかしい妄想なら、
この先いくらしたってかまわない。
だって、この物語はここで終わりだけど、
私の人生はこの先、何年も、何十年も続くんだから。
ならば、今こそ、今を生き抜くアタマのおかしい妄想をするのだ!

初めてラストの橋本愛のこの台詞を聞いたときは、エッと思った。ここまで展開してきて最後にぶっ飛ばした妄想オチかと。

しかし終盤の力点が 10 年前のさっちゃん側にぐっと引き寄せられる展開をかえりみるに、未来からの干渉は、10 年前の、というより彼女を基準とするならばむしろ「現在」のさっちゃんが取りうる選択に影響を及ぼしうる、ガイドラインのひとつとしてしか機能しえない気もしてくる。

例えばデミアン・チャゼルが『LA LA LAND』のラストで描いた、ピアノ弾きのおじさんが妄想する「選択によっては有り得たかもしれない未来、あるいは並行する現在」は、「夢も現実で、どっちも本当」であり「それがミュージカルの力だ」として、その夢現な重ね合わせの状態を肯定したものだという3

さっちゃんが上記の台詞を声高に叫ぶ後ろでは、ゆうちゃんもアンナも、幸子も優一もその浮気相手も、高知に帰るはずのキ〇〇イ隣人も、そのほか全員がそろってミュージカル『アニー』の“Tomorrow”を合唱している。幸子役の根本はむしろバックグラウンドのコーラスの一部に溶け込み、お立ち台に凛と立つ橋本愛を引き立てる側に回っている。

妄想オチだと思って観ていた時も、ババアになった未来の自分に向けて語りかけるさっちゃんの、

あなたが後悔してるところ全部、私がやり直してくるから

という台詞には物凄く引き込まれるものを感じたし、それこそ幸子の「頼んだよ」という返答にも、鑑賞者の回答を代弁しうる勢いがあった。

さっちゃんが良いイメージを持てば、えっちゃんも帰ってくるし未来は変わる。ゆうちゃんも変われるかもしれない。

初の本多を踏むにあたってこの結末を取った意味が 2 年経っての再鑑賞でようやく、肯定的に見えるようになってきた4。ソフト化は大事ですね。

まとめ

橋本愛にはたいへんな説得力があり5、得がたい立ち姿のある無二の役者です。

ババアのさっちゃんはこれからどうするのか

うら若き幸子のこれから先は置いておいて、ババアのさっちゃんも、この先を生きていかなければいけないわけで。

相棒のパクリみたいなドラマ「刑事、荻野!」で出世した小倉さん[演:鈴木智久]に、取りあえずコンタクトを取ってみてほしい。


  1. 現実的な問題としては、使用した劇伴等を TV 放送で公衆に送信したり、DVD などのメディアとして頒布する際に、新たな権利関係の課題(主に金銭)が現出するために生じると考えられる。

  2. 根本宗子の演劇だと例えば『スーパーストライク』なんかは、(ミュージカル楽曲を多用しているせいか)放送やメディア化は厳しいだろうという旨の話が本人の口から語られている(ロフトプラスワンでの上演会において)。

  3. 町山智浩の映画ムダ話 #43」あたりを聴け。

  4. もちろん我々は橋本愛ではない上、多くの人間の生は芝居ではないことは肝に銘じておく必要がある。

  5. 真髄はえっちゃんとの最後の口喧嘩のシーンと、“さっちゃんのセクシーカレー”間奏での「好き」連呼で、このあたりは声、表情、角度に至るまで、ジレンマを引きずりながら舵を切ってしまう切実さがこれでもかというほどに迫ってくる。隣でラジカセを前に泣き崩れる根本との対比もあって。

『紛れもなく、私が真ん中の日』 / 月刊「根本宗子」第15号

★★★★★

1

裕福な歯科医の一人娘、やまちゃん[演:山中志歩]は毎年、同じくらい育ちのよいクラスメートのしょうこちゃん[藤松祥子]、さらちゃん[高橋紗良]、もねちゃん[城川もね]、ももこちゃん[尾崎桃子]の 5 人で、じぶんのお誕生日にパーティーを開いています。

でもある年、そのことを知ったクラス担任の先生が、誘われなかった子たちがかわいそうだよ、というようなことをいうのです。やまちゃんはその年、クラスメイト全員をおうちに招待して豪華なお誕生日パーティーを開きました。

女の子たちは集まったり、仲良しグループに分かれたり、また集まったりしながら遊んでいましたが、仕切りたがり屋のこばやしちゃん[小林寛佳]が場の雰囲気をわるくしてしまいます。そんな中、自分の娘が素敵なお誕生日会にお呼ばれしたということでご機嫌なこばやしちゃんのママ[比嘉ニッコ]が差し入れを持って訪ねてくると、こばやしちゃんは一転しておとなしくなってしまいます。こばやしちゃんママは、こんなにおとなしい娘が場の雰囲気をわるくするはずがないといいます。しかし、結果的にこばやしちゃんがわるいということが分かったとき、ママはこばやしちゃんに手を上げました。こばやしちゃんの家庭はとても貧しく、ママは大変なスパルタだったのです。

とりあえずその場は収まったものの、こばやしちゃんは家庭の事情を暴露されてしまい、ちょっとおかしくなってしまいます。やまちゃんの一番の親友のしょうこちゃんは、パーティーの雰囲気を元に戻したいから、奔走します。一方でやまちゃんは、こばやしちゃんやしょうこちゃんが場の中心に立ってしまっていることに対して、疎外感を感じはじめます。今日はわたしのお誕生日パーティーなのに。

突然、やまちゃん家の家政婦をやっているももこちゃんママ[森桃子]が血相を変えてお部屋に飛び込んできました。やまちゃんのお父さんが淫行で逮捕されてしまったというのです。歯科はどうなるかわからない。お母さんは遠い西の実家に帰る。様々な異変が飛び交います。やまちゃんも当然、動揺しますが、それ以上にクラスメイトのなっちゃん[福井夏]の様子がおかしいのです。なっちゃんはなんと、やまちゃんのお父さんと関係を持っていました。なっちゃんは激しく取り乱しながらいうのです。出会い系サイトに登録していたのはやまなかさんのお父さんだって、そうだ。お父さんは私を女にしてくれた。やまなかさんの裕福な育ちが、幸せが、うらやましいと思った。それを、ちょっとくらい私にだってわけてくれたって、それがどうしていけないの。なっちゃんの独白は必ずしも孤立したものではなく、裕福な 5 人組とは別のグループの女の子たちからも、少しずつですが声が上がり始めます。

ここでもしょうこちゃんは、必死で場をとりつくろう、とりつくろうと頑張りました。しかし、お誕生日パーティーも、家庭も、一日のうちに滅茶苦茶になってしまったやまちゃんが、ついにこわれてしまいます。やまちゃんはしょうこちゃんにも牙を剥きました。今日はわたしのパーティーなのに、わたしが真ん中の日なのに、しょうこちゃんまでわたしの真ん中を奪らないでよ。

みんな出ていってほしい。出ていかないのなら、わたしが出ていく。

やまちゃんはお母さんの車に乗って、どこか遠くへ行ってしまいました。残されたしょうこちゃんは、よかれと思っていた自らの行動を責めても責めきれません。やまちゃんが行っちゃった。ももこちゃんママの膝にうずくまって、しょうこちゃんはひたすら大声をあげて泣くしかないのでした。

2

6 年後。高校生になった祥子[安川まり]、紗良[椙山さと美]、もね[優美早紀]、桃子[李そじん]の 4 人は、タイミングを見つけては山ちゃんを探す旅に出ています。制服姿で軽快車を漕ぎながら、山ちゃんがいるかもしれない九州まで走ります。

祥子は、あの日、山ちゃんを助けられなかったことをずっと後悔しています。あのとき本当に自分がしてあげるべきことは何だったのか、ずっと考えています。

3

さらに 1 年がたち、大学生になった彼女たちは、思い思いの私服でとあるホームレス街にたどり着いていました。美人すぎるホームレスインスタグラマーとして人気を博していた目当ての人物[増澤璃凛子]こそが、山ちゃんではないのか。祥子の記憶と、親友としての直感は的中します。しかしそこにいたのは、色黒で、眼鏡をかけていて、けっして美人とはいえなかったやまちゃんとは、似ても似つかない色白のモデルさんのような女性でした。その女性はいいます。全てを変える必要があった。過去を捨てるために、全てを変えて、忘れた。いま会っても、何も思わない。変わり果てた山ちゃんに冷たく突き放された 4 人。紗良、もね、桃子は、それぞれの思いを抱きながらもその場を後にします。祥子だけは、そんな山ちゃんのそばを離れることができずにいました。

7 年前の姿をしたやまちゃんの心は、祥子に呼びかけます。寂しかった。会いたかった。山ちゃんも、いつか祥子が会いにくると思って、特徴的な歯ぐきだけは整形しなかったし、ダンボールハウスも大好きな色で飾りつけて、待っていました。でも、心のうちで呼びかけるだけで、祥子に本当の気持ちは伝わってはいません。美人の山ちゃんは、冷たく祥子を突き放したままです。

一方、また独りよがりに山ちゃんを苦しめにきてしまったのだと悟ってしまった祥子は、再び山ちゃんを悲しませることがあってはならないと、はらわたがちぎれるような思いのまま去ることを決意します。こんなに分かり合いたがっているのに、なぜ本当の気持ちを伝えられないんだ。やまちゃんの心は、焦っています。7 年前の姿を持ったしょうこちゃんの心も祥子に向かって、必死に叫びます。ここまで来たじゃん。あなたが何をしたかったのかを思い出して。

大粒の涙をこぼしながら再びダンボールハウスに向き直った祥子は、あのお誕生日パーティーがうまくいっていれば現れていたであろう場景を強烈にイメージし、大きく息を吸い込みます。みんなでうたうことのできなかったサプライズソングを 7 年ごしに、山ちゃんに届けるため。

4

最後に祥子が山ちゃんに対して歌う讃美歌、ロッシーニ『愛』の一節。この芝居のテーマそのもののような訳詞。

愛に満てる我が主よ
汝が御手に抱かれて
友となりし我らは
苦しみを分かち合わん

汝が光覆う所
憎み争い後を絶ちて
永久に知らす主の愛
戦いをうち沈め

憎み争い後を絶たん
愛に満てる我が主よ
汝が御手に抱かれて
友となりし我らは
苦しみを分かち合わん

愛に宿る主なる神
貧しき者に望みを与とう

思えば、先生が諭した「博愛」の精神を、子どもであるがゆえに無理解に実行してしまったことがすべての始まり。しかし最後、冷たく突き放そうとする旧友に対しても無償の愛を捧げようとするその姿勢は、ものすごくミクロではあるものの、独善から昇華した祥子のアガペーを描ききったと言えるのではないか。

大人祥子が歌い始めると同時に、ラストカットの前からずっと舞台上で彫像のように固まっていたお誕生日会クラスメイトたちにも照明が当たり、一斉に『愛』のコーラスに加わる。アカペラで、讃美歌が舞台上に現出する。この歌のシーンと、オープニングの「真ん中ゲーム」でだけは、劇中でさんざん揶揄された「格差」と「妬み」は影を潜めて、等しくすべての登場人物の祝福が、一人に向けられている。心の中のやまちゃんはこれ以上になく嬉しそうな笑顔を浮かべ、目も合わせようとすらしない現在の山ちゃんをよそに、歌い終え静かにその場を立ち去る大人祥子をそっと抱きしめる。

「ありがとう!」

全ての照明が落ちて、終幕。

5

  • やばいもん観たなと思った。

  • Yahoo! 知恵袋などによれば、最近は無遠慮で独りよがりな隣人愛の実践が散見されるようだ。それは、子どもの頃のしょうこちゃんの独善的奔走において描かれている。一方で、あれほど干渉できなかったやまちゃんの心が最後に直に大人祥子を抱きしめることができた(=物質的にも精神的にも、何らかの実体を伴った干渉が描かれる)ところは、真にアガペー(というよりむしろそれによって現出した、人智を超えた何らか)の力が発揮された瞬間である。

  • おそらくラストカットで祥子は理解したのだろうけれども、立ち去る歩みを止めることはないのだろうし、このあたりの機微、決して円満なハッピーエンドでもないぶん、凄く心を抉るものがある。

  • おそらくプロテスタント系の女学校に在籍していたのであろう根本の、何らかの私体験あるいはそういった教学方針に対する回答が内包されているように思える芝居。こういう観点以外にも様々な側面から見られる、懐の深い戯曲。

  • 藤松祥子の堰を切ったような慟哭と、安川まりが振り向きざまにこぼした大粒の涙。ここまで人の心を打つものを、同じ役を演じる 2 人に同日中に見せられた側はたまったものではない。

    • 終演後すぐに客出しだったので、その状態のまま九劇の外に放り出されるということで、それも勘弁してくれという感じであった。
  • 「月刊」本公演であったが、根本は役者として出演しなかった。初?

    • 正確には主演の山中志歩が体調不良となった数回の公演で、急遽代役として舞台に立ったらしい。

      • しかし、それを観たいかというと決してそうは思わない。22 人の出演者全員に博愛が行き届いたかのようなこの芝居の主演には、やはり根本が芝居を託した山中以外のキャスティングは考えられないだろう。
  • 2018 年の新作公演としては間違いなく最高位に位置する芝居だし、過去 5 年間を決算してもこの芝居が一番良かったといえる。90 分というコンパクトな上演時間に、よくこれだけの凄まじいエネルギーを詰め込んだものだと思う。おそらく今後も、これに比肩しうる芝居を見られる機会というのは非常に限られてくるだろう。紛れもなく現時点で最高の体験。根本宗子の快進撃はどこまで続くんだろう。

6

  • 開演 2018-05-05 14:00
  • 於 浅草九劇

7

出演(50 音順)

  • 伊藤香菜
  • 大竹沙知
  • 岡美佑
  • 尾崎桃子
  • 川村瑞樹
  • 小林寛佳
  • 近藤笑菜
  • 城川もね
  • 椙山さと美
  • 高橋紗良
  • チカナガチサト
  • 中山春香
  • 比嘉ニッコ
  • 福井夏
  • 藤松祥子
  • 増澤璃凛子
  • 森桃子
  • 安川まり
  • 山中志歩
  • 優美早紀
  • 李そじん

『夢と希望の先』 / 月刊「根本宗子」第13号

★★★★☆

ステージの上手と下手に全く同じ間取、ほぼ同じ家具配置のワンルームアパートが再現されている。

上手は下手の 10 年後。10 年前、高校卒業後に役者を目指して上京してきたさっちゃん[演:橋本愛]と、インスピレーションのままに何でもやってみたい 24 歳の芸術家志望、ゆうちゃん[田村健太郎]が半同棲生活を行っている。

10 年後の幸子[根本宗子]は OL をしながら同棲に必要な稼ぎを一手に引き受けており、優一[鬼頭真也]は夜勤バイトをしてはいるものの事実上、幸子のヒモになっている。

さっちゃんは、ゆうちゃん、あるいは上京後にできた友人のアンナ[長井短]に影響されて価値観が変わりつつあり、ゆうちゃんを支えるためなら女優志望をあきらめてもいいとすら考える。夢だったオーディションの最終選考を蹴ろうとする矢先、幼馴染でミュージシャン志望のえっちゃん[プー・ルイ]が「さっちゃんとの共演」をモチベーションに上京してくる。さっちゃんが自分の知らない方向へ去りつつあることが受け入れられないえっちゃんと、まさに変わろうとしている自分に少なからずジレンマを感じていたさっちゃんとの間に亀裂が生じ、周りを巻き込んで大きな喧嘩に発展、二人の友情が決定的に壊れようとしている。

幸子の 10 年来の友人の杏奈[墨井鯨子]が、紆余曲折ありつつも臨月にバンドマンの貧乏彼氏(これも 10 年来)と結婚することになった。優一は夜勤バイト代を全額、浮気相手[尾崎桃子]に突っ込んでいる。見て見ぬふりをし、自分を騙し騙し 10 年間を過ごしてきた幸子の感情が、優一が浮気相手を(幸子が家賃を全額負担している)アパートに連れ込んだ場面に遭遇したところで、爆発する。優一は幸子のアパートを去ってしまう。

10 年前、友情が壊れたその日にえっちゃんが残していった CD が、優一の居なくなった部屋のテレビ台の奥から出てくる。えっちゃん自作の、さっちゃんのことを考えて作った曲1がラジカセから流れ出した瞬間、幸子は 10 年前のあの日の選択を全て後悔する。えっちゃんではなく、アンナとゆうちゃんを選んでしまった自分の下には、今や誰もいなくなってしまった。もう何を頑張るエネルギーも残っていない。いやだ。慟哭の果てに搾りカスのようになった幸子の叫び声が「下手の」10 年前の部屋に届く。時空が交錯を始める。

観た

  • 根本宗子、本多劇場へ進出。同時に、名義は変わらないながらも劇団体制からプロデュース公演ライクな体制へと移行して(戻って?)の第一作2

    • 「劇団」という形態の場合は大幅な役者の入れ替わりがない限り、平均年齢が上がっていく一方。よって再演(今回は厳密にはリメイクだが)には、加齢という観点からの制約がかかりがち(特に今回のような話であれば尚更)。旧「劇団」体制への後ろ髪ひかれる感情面を排すれば、今回その制約を取っ払ったことによって瑞々しいキャスト、特に橋本愛をメインに起用できた点は良かったのでは。
  • 下手の瑞々しい男女が上手のくたびれた男女になっていく因果を同時並行的に演出する手法は個人的には目新しかったが、同時に数年前に観損ねた『サナギネ』がさらに凝ったギミック3で同じようなテーマを演出していたということを思い出して、『サナギネ』は無理してでも観ておけばよかったなーという後悔の念にも襲われた。

    • その『サナギネ』にも出演していた玉置玲央が今回、公演直前になって降板。代役が田村健太郎。主演クラスの配役で開演数日前からの稽古入りと聞いていて正直どうなるかと思っていたけれど、最初からのアテ書きかと思うくらいハマっていて、かつミスも見られないほどしっかりと演じ切っていた。逆に玉置がやるとどうだったのかすごく気になった。
  • 原作(『夢も希望もなく。』、未鑑賞)と今作との最大の差異は、終盤 20 分ほどらしい。今作では、10 年前の選択を悔いて悔いて仕方のない幸子の後悔の念が上手と下手の世界の壁を取っ払い、過去の自身にスラップスティックな干渉を試みはじめる。夢か現かわからない応酬の中、それでも過去のさっちゃんが彼女自身の選択で(さっちゃんにとっての)未来に向かっていくことを、キャスト総出の(杉本竜一ではなくミュージカル『アニー』の!)“Tomorrow”合唱で肯定するように締めくくる。当然ではあるけれども、最近の根本の価値観に基づいたエンディングなんだろうなという印象。

    • 対応する場面の原作展開は、どうももう少し感傷的かつ地に足の着いたものであったらしく4、今作より控えめな大団円ともいえる『今、出来る、精一杯。』の結末が異様に刺さってしまった身としては、その原作エンディングも生で観てみたいものである。当然、新作をやり続けたいと公言する根本は昔のバージョンなどやらないだろうし、そのまま再演する演目であったのなら公演そのものが無かったかもしれない。ただ、その頃の根本が持っていたと思しき自己肯定の感覚は、今とはまた少し違った良さのあるものだったはずであるから。

日時


  1. 大森靖子“さっちゃんのセクシーカレー”が、えっちゃんの自作曲として劇中でかかる。プー・ルイが上手でも下手でもない第三の舞台装置上で歌唱。

  2. キャストを見たときに梨木・あやかが居ないのは気づいていたものの何故か当時は特に疑問にも思わず、鑑賞終了後しばらくしてから、前作『忍者、女子高生(仮)』後すぐに両者が脱退しての一人体制に戻っていたことを知った。

  3. 青山円形劇場を二分割し過去篇と現在篇を隔離して上演。終盤に両サイドが融合するものの、客は二度鑑賞しないとその全てを観ることができない。

  4. そもそも時空の干渉が無いらしい。インタビュー等より。

『今、出来る、精一杯。』 / 月刊「根本宗子」上映会 再び第7号

★★★★★

上映会という形態ではあったものの、その上でなお、芝居にしか成し得ない表現、小説や映画や漫画ではなく芝居を観に行かないといけないと思った理由を強く認識させた、ターニングポイントのような作品です。

http://www.loft-prj.co.jp/schedule/plusone/42708

ケレン味のついた日常、という芝居

とあるスーパーマーケットのバイトコミュニティを中心とした舞台で、登場人物はとても多い。

関係性が集約される先として 3 人のダメな男がおり、彼らよりは自立して人間関係も豊富なように見えて、しかしそれ故に抱え込んでいるものを共有する先が彼らでしかない女性 3 人を軸に話が進んでいきます。3 組の話がアパートの一室、バイト先の控室、あるいは何処かの屋上、で並行して展開し、時には接触し、最後にやり場のないそれぞれの関係性が爆縮したカタルシスに突入します。

みなみ[演:長井短]の場合

バイトのお局様ポジションである利根川[梨木智香]にいびり回される若輩の彼女に、交際相手でもある店長[オレノグラフィティ]は一切の手助けをしようとしません。

それもそのはず、かつて交際関係にあった時に店長持ち前の絶技でしか快楽を得ることのできない身体になってしまっていた利根川は、今でも彼に「手」での関係を強要し続けていた。お局の暴走はとどまることを知らず、スタッフの控室でそれは具象を以って、みなみを含めた多くの従業員の前に、明らかになります。

デフォルメにも限度があるだろうという物凄い痴女を配した展開で、これは一体どこを向いて作ったパートなのかという気持ちも起きるのですが、同じくどこを向いているのかわからない謝罪の後に梨木の股ぐらへ手を突っ込むオレノグラフィティという凄絶な画を見せられ、観客は咀嚼する暇も充分に与えられないまま、みなみと共に衝撃の淵に追いやられます。なんなんだよこれ。

一度はバイトを休むまでに追い込まれたみなみは、しかし店長を救うことができるのは私しかいないという使命感に導かれるように再びスーパーに現れ、長手の炊事用ゴム手袋のようなものを装着し、利根川の下半身に立ち向かっていきます。

彼女の主舞台であるスーパーのパーティションは大きく、集うキャストも豊富であるため、最終盤、彼女が利根川を絶頂に導くところでは、芝居のカタルシスにおける火力の一端を担います。

端的にいって、本当にひどい。

ひどいのですが、役者としてのオレノの使い方が一番うまいのは、彼が本籍を置く劇団鹿殺しでもなく、根本なのではと思うのです。

ハナ[演:あやか]の場合

彼女が養う安藤くん[宮下雄也]という人間は、バイトは出来ない、人手不足のスーパーに採用されても帰ってくるたび自分の対人能力の低さを転嫁するような愚痴の連続、炊事においては飯も満足によそえないという、生活能力に著しく支障をきたした物凄い人間なのですが、ハナはそんな彼を優しく支え続けます。

そんな一方的なバランス感覚の上に成り立つ均衡は、親友が死んでしまったというハナへの突然の電話連絡を期に崩れていきます。

喪服に身を包み、まさに友人のお通夜に向かおうという彼女に、バイトから帰ってきたばかりの安藤くんは今日も愚痴を聞いてほしくてたまらない。彼にとって、他人との関係性はそれ以前も、そのさらに前も、ずっとそうだったのでしょう。安藤くんが決して、悲しいときの自分を支えてくれるようにはできていないことを悟ったハナは、ついに心の琴線が切れてしまい、彼の下を去ってしまいます。

生活能力の著しく低い安藤くんは、何もすることができず、支えも失い、部屋の中に取り残されて閉じこもります。バイト仲間の西岡[片桐はづき]が、誰とでも平等に接する気前の良さでフラリとその部屋を訪ねます。安藤くんは誰でもいいので縋りたいのですが、気前の良さゆえにドライでもある西岡は、パチンコの代打ちに呼ばれてサッと出ていってしまう。逆上した彼は包丁を持って後を追い、血塗れになって部屋に戻り、再び泣きながら引きこもります。

通夜が終わり平静さと、安藤くんの脆さに対する危機感を取り戻したハナは、部屋に戻ります。すべてを理解したハナは、それでも安藤くんのために、彼が無罪になるためにはどうしたらいいか、冷静にアリバイを練り始めます。

あやかが、普段演じることのないような色っぽい女を演じており、MVP といえます。また、このパートは途中まで、芝居の「転」を司る重要な場面を握ってもいました。それ故、最終盤の展開は些か肩透かし。カタルシスにおいて他の二者より「静」に寄ったものを担わせたかったのかもしれませんが。しかし、安藤くんに関しては扱い方を間違えるとハナにも危害を及ぼすかもしれず、またこれまでの二者の関係性を顧みれば、このような選択を取るということもまた「今、出来る、精一杯」なのかもしれないという、含みのあるパートとなっています。

惜しいですが、三組三様のカタルシスの中に放り込まれると、ハナの独白は意外と引き立つコントラストでもあります。

未来[演:根本宗子]の場合

子どもの頃に学校行事で事故を起こし、それからずっと車椅子で過ごしている彼女が、飯も満足に準備できない安藤くんに箸を投げつけるところから芝居は始まります。

オープニング後の暗転を経ると、安藤くんはもうハナに養われている。未来は自力で炊事も困難なようで、毎日スーパーにやってきては、食品コーナー担当の金子[野田裕貴]に弁当を無料でよこせとせびり続けます。裏ではバイト達にクレーマー、キ○○イ女という物凄いあだ名で呼ばれてすらいる彼女に、金子は強く対応することができずにいます。金子こそが事故の加害者だからです。

金子は金子でその事故以来、吃音症になってしまい対人関係にコンプレックスを持っています。あげく個人的感情からスーパーのバイトをさらに辞めさせる展開になってしまい、外部からは未来の圧力もあって、次第に追い込まれていきます。屋上にて悲嘆に暮れる彼のところへ、追い打ちをかけるように車椅子の未来がやってくる。事故の一件から執拗な追跡を見せる彼女の口から語られるのは、恨みつらみとは表裏一体の、切実な依存の告白でした。

弁当をもらえる限りは、生き続けようと思った。

安藤くんにすら縋らないと生活も困難だった未来が、彼すらも失った中で拠り所とする生へのモチベーションが、芝居らしい激しいデフォルメでありながらも切実で余りある。こんな身体になったのも全部あんたのせいだけど、そのことを全てわかっているのもあんたなんだから、わかってよ、という復讐と依存とがない交ぜになった濁流のような彼女の感情が金子をも突き動かし、その勢いのまま二人は、屋上で泣き叫びながらの激しい抱擁に突入します。

未来を演じる根本宗子も似たような経緯から青春時代を車椅子と過ごしたというコンテクストが、未来の一連の告白に切実な説得力を積み増し、芝居のクライマックスを引き立てます。

芝居にしか成し得ない表現

最終盤、みなみの奮起、ハナの独白、未来の抱擁が並行して進み、次第に音量を上げる劇伴と、「今、出来る、精一杯。」という言葉を長文に展開したようなテロップがスーパーの壁面に投影される中、各々のカタルシスが極大を迎えます。

この極大点にて、物凄いテンションで叫びながら抱擁をしていた未来すなわち根本宗子が突然、弾かれるように車椅子から立ち上がるのですが、その瞬間に感じた衝撃のようなものが、私を劇場に向かわせるのだと思います。

例えば映画や漫画で同様の描写を入れると、観客は何かしら意味づけをしたくなるのではないか。未来に奇跡が起きて足が治ったのかもしれない。あるいは、車椅子すらも彼女の方便だったのではないか。小説では、そもそもこの立ち上がるという描写そのものを躊躇うかもしれません。しかし芝居は、足が治ったとか、描写の躊躇いとか、そういったものの一切を排除する。そこで彼女が立ち上がることそのものが芝居を「成立」させるのであり、「成立」まで舞台を、観客を、持っていけるのだと思います。それが芝居の、生モノの、テンションだからです。

そしてこのようなテンションの奔流を大々的にフィーチャーするでもなく、あくまで 3 組のドラマが並行かつ独立に頂点に達していく中へ放り込むというギミックの効かせ方に、決して感情先行だけではない、根本宗子の作家としての心意気のようなものをも感じたのです。

アヘッドさが見事に突き刺さってしまい、数週間くらい余韻が抜けなかった。

このような瞬間を演劇が、ねもしゅーが、見せ続けてくれる限り、劇場に、あるいは月刊「根本宗子」に、足を運び続けるのでしょう。

情報

月刊「根本宗子」上映会
月刊「根本宗子」再び第7号『今、出来る、精一杯。』
  • 2015-10-23 ~ 2015-10-30
  • 於 中野テアトルBONBON

『女体シェイクスピア 005:暴走ジュリエット』 / 柿喰う客

★★★☆☆

http://kaki-kuu-kyaku.com/nyotai/

『迷走クレオパトラ』と入替上演制の、翻案『ロミオとジュリエット』。

ロミオとジュリエット - Wikipedia

近い時期に 2 公演が観られるということでチケットを取ってしまっていたため、悪い演劇体験の翌日に鑑賞。

こちらは何故か『迷走』と違ってそこまで悪いとも思わなかった。言い方は悪いけど、品の悪いパロディ劇に振り切っていることが、前日の鑑賞を経て理解できたから?

相変わらず衣装は女子高生に男子高生みたいな、そういうノリ。キャスティングは『迷走』と同一、ただし『迷走』で男役を演じた女優はこちらでは女役、その逆も然り。主演のジュリエット役が佃井皆美。佇まいは『迷走』で演じたオクティヴィアス向けなんだろうけど、声質は対極の猫声なので、キャスティングとしてのメインはこちらに持ってきたっぽい。

配役のマッチング感、芝居としての出来、「ロミジュリだけだと負荷もインパクトもいまひとつだと思ったので『アントニークレオパトラ』を加えて同時に稽古・上演をした」との中屋敷インタビュー(トークだったかも)、から考えるに、ウェイトをこちらに置いていたことは明らか。『迷走』の酷い出来は、この後乗せした負荷が演出側にも役者側にも全く良い方向に働かなかった結果だろうか。

柿喰う客からのベテラン女優 3 人の、ヌケのある演技が出来をカバーしてはいたが、その 3 人はギャグ側に全振りの状態。瑞々しく演技する客演女優たちを完全に食ってしまい、品の悪いパロディ劇に収まることとなった元凶でもあるのではないか。天丼ギャグは下らなすぎて笑ったけど。

両日ともに主役の脇をかためていた秋月三佳1がやたらぐねぐねしていて良さがあった。

『迷走』と『暴走』の同時上演は、手垢まみれの題材であろうとも、蔑ろに制作すると破局が起きるケーススタディのような記憶として残ってしまっている。逆の順番で観て、女体シェイクスピアの特性を把握した上で『迷走』を観ていれば、あちらもまた違った評価になったのだろうか。ならなさそうだな。


  1. 【2018-07-15 追記】最近も、観に行った芝居にたまに出てくる。当時のメモに残っていた他の女優、例えば瀬戸さおり菊池美香、あたりは観測範囲が変わったからかなんなのか、全く見なくなった。

『女体シェイクスピア 006:迷走クレオパトラ』 / 柿喰う客

★☆☆☆☆

http://kaki-kuu-kyaku.com/nyotai/

劇団「柿喰う客」演出家の中屋敷法仁が、同劇団の女優 3 人に加え多数の客演女優を迎え、女優のみでシェイクスピアをやるという企画の第 6 弾。

今回のネタは『アントニークレオパトラ』。

アントニーとクレオパトラ - Wikipedia

女体シェイクスピアは初見であったが、全く成立を感じることができなかった。このときこういうことがありました、私は/彼は/彼女はこう思いました、を登場人物に変な語尾つけて喋らせている1だけで、それだけでもだいぶ冷めるんだけど、台詞がものごとの説明でしかない2ので、演技も演劇もあったものではない。状況説明させるだけなら活字出版か読み聞かせで良い。

アントニーがいちいち名ゼリフ?のところで歌舞伎のような見栄を切る。序盤で冷めてしまいノリに置いてかれた観客に、これは厳しい。だいたいなんでクレオパトラがチャイナ服を着ているのか。予算の調達に問題でもあったのか。10 歩ゆずっても黄河文明じゃないんだから。

アフタートーク始まる前に撤退。ここまで駄目だった芝居は、なかなか後にも先にも出てこないだろう。

シェイクスピア翻案劇の過激派急先鋒でもやってるつもりなのかもしれないけど、仮に観る人を選ぶ演劇だったのであれば、その閾値は「女優がたくさんでてきて、よかった」という点か。男性演出家が女優 14 人をプロデュースして劇に持っていくだけでもだいぶ大変なんだろうな、大変なんですかね。でももう企画としては 6 本目(だった)んでしょう?

2.5 次元のようなものと割り切ろうとしても、衣装や美術からまったく気概が感じられないし、「女優のお祭り」に価値を感じられなければ、何も残らない芝居。


  1. ポンペイなら語尾にポンをつけて喋るんだポン。

  2. シェイクスピア(の翻訳劇)そのものが、そういう性質を含んでいる点も否定できない。

『朝日のような夕日をつれて2014』 / KOKAMI@network vol.13

★★★★☆

舞台

立花トーイの世界

倒産寸前に追い込まれた玩具会社で、社長[演:小須田康人]が企画部長[大高洋夫]に対して新商品プロジェクトの進捗の悪さを突っつきまわしている。

部下の研究開発員[藤井隆]と製品モニター[伊礼彼方]は、街頭で少年[玉置玲央]にインタビューを試みるが、頓珍漢なことしか回答してこない。モニターは、今や消費者自身がマーケットリサーチャーのようになってしまい、自分達が本当に何を欲しいのか分からなくなっているのではないかと考える。モニターは社長の愛娘のみよこにアプローチがてら、更なるリサーチに必要な情報を収集する。

近年、おもちゃはインターネットへの接続という機能を取り込み、ソフトウェアやハードウェアの進化も相まった結果、バーチャルリアリティというひとつのゲームジャンルを台頭させてきた。研究員は開発中のバーチャルリアリティゲームをみよこに体験してもらい、商品化の成功ひいてはヒットへのヒントを得ようとする。社長や部長も交えたディベートの中で、昔はリアルからの退避場所のようであったはずのインターネットが、ソーシャルネットワークの発展によってリアルと大差ない、気遣いと攻撃だらけの世界になってしまったという結論に至る。

ならば、リアルを気にしなくていい新たなネットワーク空間を、バーチャルリアリティの中に構築すればいいのではないか。決して自分を攻撃することのないソウルメイト達とのバーチャルな生活、「ソウルライフ」。「ソウルライフ」のリリースに向けて、各人はみよこを巡る駆け引きを続けながら業務を進めていくが…

ウラヤマとエスカワが遊んでいる世界

ゴドーを待ち続けて数十年。今日もウラヤマ[大高洋夫]とエスカワ[小須田康人]は、ゴドーを待つ間、様々な暇つぶしを試すように遊んでいる。

ゴドーのお使いの少年[玉置玲央]がやってきて、ゴドーは今日も来られないと伝言を告げる。

ウラヤマとエスカワは遊びに夢中になり、ゴドーのことなんかどうでもよくなってくる。少年は隠し持っていたもう一通の伝書を取り出し、読み上げる。

「前略、私がゴドーです。行きます」

ゴドー[藤井隆]がやって来る。待ち続けることに疲れたウラヤマとエスカワは、ゴドーを放り出して帰ろうとすらする。すったもんだしている間にもう一人、ゴドーを名乗る人物[伊礼彼方]が来てしまう。少年もそのすったもんだの輪に入りたくて仕方がない。

ゴドーを待ちながら』の世界

「ゴドーは、来ないんだね」

精神病院の世界

少年の姿をした医者が問う。

「みよこは、どうでもいいのか」

名無しの男達 4 人は、みよこが来ないことに気がつく。

まとめ

筋道だったあらすじのようなものは無く、この 4 つの世界が目まぐるしく交錯しながら話が進む。5 人の男が 2 時間ひたすら時事ネタ・小ネタ・ギャグを回し続ける超速テンポ1の芝居で、このテンポと脈絡の無さを面白いと思えるかどうかで好き嫌いが二分すると思う。

所感

  • 前提としてこの 2014 版鑑賞後に第三舞台全集 DVD を買って、異なる年代の『朝日のような夕日をつれて』上演を更に 3 バージョン鑑賞している。

  • 鴻上尚史主宰の劇団「第三舞台」立ち上げ時から、かれこれ 30 年は上演されている鴻上の代表作。

    • 第三舞台解散後としては初の再演。メインキャストの大高・小須田以外の 3 人を刷新し若返らせての、17 年ぶりの再演になっている。
  • 20 代の頃から部長・社長を演じてきた大高・小須田はすっかりその役職に適切な年齢になっている一方、年齢不詳感のあるウラヤマ・エスカワに求められる最適な雰囲気からは遠ざかった印象をうける。

    • 身体を使って遊び続けるウラヤマ・エスカワの役に求められるバイタリティ的にも、オリジナルキャストを含んだ『朝日』はこれで最後だろうし、大高・小須田のいない『朝日』はおそらく、少なくとも鴻上自身によって上演されることはないと思う2
  • 2014 年ともなると、第三舞台期には神話的な抽象感のある未来予測として成立していたバーチャルリアリティが、いよいよ大衆消費市場にアプローチできるプロダクトとして具現化しつつあった時期。

    • これは鴻上の戯曲全体に言えることだけれども、現実が追いついてきてしまったことによるハッタリの効かなさというのが、時代を追うごとに出てくる。それによる現実に寄せた設定3への修正、その修正による戯曲の魅力の食いつぶし、がこの『朝日』においても顕著になってしまったな、と思う。

      • こうなってしまうと、観客を満足させうる要素というのは「若い頃に観た演目がまた生で観られて懐かしかった、良かった」くらいのものしか残らなくなるのではないか。

        • 事実、以前のバージョンと比較してどう思ったか、あのネタ/台詞がまた観られて/聴けて良かった(あるいは観られなくて/聴けなくて残念だった)、全盛期の勝村政信筧利夫と比べてゴドーのキャスティングや演技はどうだった、などといった感想が非常に多い。

        • 同じテーマであろうと、劇作家には新作を作りつづけていてほしいと思う理由のひとつは、ここにある。

      • 全盛期のバージョンはいま観ても普通に面白い4し、変に現実に設定を寄せる必要はないのではとも思うが、おもちゃの進化と生物の進化の対比をテーマのひとつに据えている以上、再演するならばバージョンを更新しないわけにはいかないという難しい事情がある。

  • 今回の玉置少年は、伊藤ちゃん少年よりは京少年に近い雰囲気を、端正な身体から繰り出す運動神経でドライブさせていた感じ。

  • エメラルド色のスーツが似合う藤井隆の佇まいは、ゴドー 1 としては意外とアリ。

日時


  1. さすがに ‘91 版のように全員が若く、かつ客演を一切含まないバージョンと比べると、2014 版はテンポが落ちている。

  2. 【2018-11-04 追記】なんと 2018-11-06 から再演されることになった。オリジナルキャストは不在で、完全刷新された W キャスト。また、演出も鴻上ではない。 http://www.stagecompany.co.jp/asahiyuhi/

  3. 例えば、Oculus Rift という具体的な商品名が、ソウルライフを実現するためのプラットフォームとして出てくるのだが、こういった瞬間にものすごく醒めてしまう。

  4. アーカイブを観ているという割り切りが視聴者側に備わっているからだとも思うが。