公演中でもネタバレします。Google+ から過去ログも加筆移行中(進捗 7 割程度)。

『今、出来る、精一杯。』 / 月刊「根本宗子」第17号

natalie.mu

んなにダークな芝居だったっけ。 前観た時 は、上映会とはいえど強烈に全知覚を塗り替えられたような衝撃に襲われて、ありがちな言葉でいえば、ロフトプラスワンを出たその時から「目の前の世界が変わっ」ていた。感動する芝居としては、他に上をいくものがあるのだけれど1、人生変わるような創作意識エネルギーの輻射に中てられた感じは他に替えが無い。タイトルもそのラストの“爆発”あるいは“発散”に手向けられている感じがしていた。しかしながら今回最後に待ち受けていたのは粛々とした、人間が生きていくことの汚さと面倒くささの澱みだった。4 年前と比べたら自分の感受性も全く別のものに書き換わっているだろうし、その起点がこの戯曲だったとはいえ、この違いは何なのか。景色が変わったと言う“主観”を突き崩されていく感覚。日野ちゃん、世の中はどうやら変わらず、腐っているようじゃないか。新国立劇場中劇場の上に作られたセットが抽象的でスパースで、宇宙みたいなその物理的な空洞の“仄暗さ”も印象に大きく寄与していたのかもしれない。でも、もっと本質的に何かが違った。無自覚を自覚に切り替えるきっかけが前回の再演にあったのだとすれば、これはその知覚の先にあるフェーズ。だからこそナンバリングも「第 7 号」の系譜ではなく「第 17 号」であることがしっくりくる。

たして、自分の中でのその意識の「書き換わり」は、進歩的だったのだろうか?抑圧的だった無自覚から解放されたとき、たぶん自らは先ず久須美になることにした。この芝居を観て意識が改革されるのだとすれば、誰しもが気高い久須美に眩しさを視うる。自己を貫徹しようとする力。次に明確な意志を以って、それを言葉にしようとする決断。でも久須美は今回、明らかに「子供」だった。大人はみんな、久須美から視ると腐っている。腐ることが大人への進歩だというのなら、言葉に力なんてものは無いのだ。言葉にしないと伝わらないのではなく、したところで、もとい、してしまうと伝わらないのだ。意識的に八方美人な世渡りをしようとしていた西岡は、第 7 号のときよりもずっと明示的に、その言葉の遣い方のせいで安藤くんに殺されてしまった。

葉は不自由だと、さいきん特にそう思うことがあった。まず、うまく文章を綴る、喋る、といったことにはおそらくとんでもない技能が必要だったということ。多くの人は、想像する以上に、していた以上に、伝達手段としてのそれの力に無自覚で、磨き上げようとする努力がない。加えて、うまく纏め上げたつもりの言葉があったとして、それを相手に投げたらどういう反応をするだろうかという想像力の問題が、次に現れる。文章の量でも質でもない。パスを投げるときの判断、品性の問題である。そしておそらくこの二つの要素は両輪。どちらかが崩れると、遠山になってしまう。自分より人生経験の浅い人間にしかリーチしない、あるいはそう思い込んでいるだけで単に年功で下位に位置する人間にしかリーチさせることのできない言葉と品位の、持ち主になってしまう。金子のような人間に遠山の力が作用すると、ああいうことにだってなる。一方で、この難しさにまごついてしまうと、たぶん本当に口から何も出てこなくなる。停止していた方がましだと、そう思って職場での坂本になるか、あるいはその先に西岡みたいな人間の完成が待っている。

して劇中ガキみたいな扱われ方をする久須美には、最後に坂本の抱擁が待っている。職場という「社会」では公に言えないあの告白とハグを伝えるタイミングは他になくて、むしろ公にする必要なんてなくて、先ずは自分の周りだけでも世界が少しでも変わっていけばいいっていう、その変革を主導する人物へのエールと、それを行うという自己決定。この坂本と久須美のやりとりは、「第 7 号」には存在していたか?或いは、していたとしても憶えていないくらい周辺が強烈だったあのラストシーンの中では埋まっていたかだ。それが今回、板の上では最も客席側のレイヤーに超然と在って、背後の三者三様、狂った選択たちの前を横切る坂本の、高潔の前に頽れそうな久須美への抱擁が、目にまばゆい。選択の中で誰もが久須美になってもいい。しかし久須美である限りはあり続けよう、という肯定と決意の後ろには坂本の、また別の気高さが要るのかもしれない。

メイクにあたって二幕制になって、区切るシーンはなんとなく当たっていたけれど、ここから 50 分も続く按分だったっけと、幕間で思った。が、そこからが本当にあっという間。でかい尻尾の付いたような骨格の歪さに視る瑞々しいプロットと、今回の暗く構えた演出とが組み合わさったときの感情の危うさ。未来が車椅子で出てきて、あの刺々しくてうっさい、どこか虚勢じみた声で語り始めてから、ずっと泣きそうだった。

っ面の“社会”的な関係性の先にあるのは、どこか後ろ暗い共犯関係なのか。生きていくうえで、世の中の全員が全員そうなのかどうかは知ったことではない。性欲の権化と化した元カノへ、カレの代わりに手マンしていくことを決意する現カノも。他者にとっては現実感のない事故でお互いをがんじがらめにし、あげく現在も弁当をくすねるという共謀で命をピン止めしようとする未来たちも。坂本の久須美に対する決断だって、あの二人以外には知る由がない。そして最後に、本当の意味で共「犯」にならんとする、はなと安藤くん。再び第 7 号ではどこか不安定だった殺人現場のパートは、今回物凄く必然で切実だった。それは言葉の操り方に対するあれこれを、西岡の殺害を介して重みづけし直していた部分もあるのかもしれないが、それ以上にきっと、坂井真紀が圧倒的だった。凄すぎた。屍体に向かって語りかけるその姿も、依存から受容、そして覚悟から過ちへ歩みを進めていくときの痛々しさも。「男の子なんだから」「苦しかったね」、そういった安藤くんへのいたわりの声も。正しさ、の前に立ちふさがる反道徳的を突き破る説得力は、どこかやり直しの効かない年齢を思わせるキャスティングにもあった。血糊に塗れた恋人の手指を拭った先の暗転。昨年末の 『ポリー』 も綺麗すぎると思ったけれど、でもこの醜い美しさで年の瀬にぶん撲られたからこそ、来年も生きていけるような。そんな気が、確信がある。

  • ・演出 根本宗子
  • 清竜人
    • 竜人:安藤雅彦
    • 井真紀:神谷はな
    • 日向星一:金子優一
    • 本宗子:長谷川未来
    • 津祥子:利根川早紀
    • 橋研二:小笠原大貴
    • 蓮:坂本順子
    • 面千晶:遠山陽菜
    • 井隆文:矢神亮太
    • 田慈:西岡加奈子
    • 名風花:久須美杏
    • 藤万理華:篠崎ななみ
    • 中志歩:神谷はな 2
    • riko 野真希 口紗亜未:私の想い。
    • 永真奈
    • 谷愛
    • ノ宮千紘
    • 國茉莉
  • 演 2019-12-15 13:00
  • 新国立劇場 中劇場

  1. 今考えてみたけど、全て根本の芝居だった。