公演中でもネタバレします。Google+ から過去ログも加筆移行中(進捗 7 割程度)。

【上映会】根本宗子版『墓場、女子高生』について、 岩井秀人が根掘り葉掘り聞く会

根本宗子版「墓場、女子高生」について、 岩井秀人が根掘り葉掘り聞く会 | 音楽実験室 新世界shinsekai9.jp


情報

根本宗子版『墓場、女子高生』について、 岩井秀人が根掘り葉掘り聞く会
  • 出演
  • 開演 2019-11-10 20:30
  • 於 音楽実験室 新世界
別冊「根本宗子」第7号『墓場、女子高生』
根本宗子版『墓場、女子高生』観劇録

『墓場、女子高生』 / 別冊「根本宗子」第7号 - 劇


概要

  • プライベートチャンネルと思しき YouTube アーカイブから千秋楽(2019-10-22 14:00 公演)をプロジェクタに投影。
    • 本来は別の形式で投影するはずだったが、根本のマネージャーである寺本さんの再三のミスによりこうなった。
    • 「(粗い YouTube シークバーを弄りながら)寺本…」
  • 一方、解説およびトークと脱線が白熱し、ほぼ本編は再生されず(せいぜい計 7 分くらい)、2 時間超、ほぼぶっつづけで『聞く会』が執り行われた。
    • 稽古終わりの岩井秀人は冒頭から間に合った。
    • 数秒~数十秒再生したところでどちらかが喋り出してビデオ一時停止、その後それに関して 20 分程度話し込む。
    • 上映は上映でやってほしかったけど、ハイレベルなトークが聞けたので、これはこれでたいへんに満足した。

トーク

「」内はうろ憶え・要約・意訳が多い。メモをとっていたわけではないので全ての言及を記録できているわけではない(オフレコもあるし…)。基本は進行に沿っているはずだけど、うろ憶えなので一部は順不同。

稽古終わりの岩井秀人による根本評
  • 「人生上がり下がりがある、その浮き沈みの中でずっと沈んでしまった人…弱者、特に女性、女性であるということで社会の中でそうなってしまっている人に対して物凄く寄り添う演劇」
    • 私が根本演劇を見続ける理由を物凄く良い感じに言語化してくれたと思う、けど女性に限定する必要はないと思っていて、弱き人が自己肯定をもって現状を克服していこうとするプロセス、が存在する限り、私は根本の芝居を観続けるんだと思っている。登場人物たちが最後に浮上する、しようとするところで強く胸を抉られる。
  • 「フライヤーに(根本)自身を使うことだけは未だに解せない」
    • 会場爆笑。
      • ちなみに過去のラジオか何かで、あれは考えがあってやっているということを根本は言っている。
    • 稽古終わりの岩井としては、あのフライヤーであることで、別に根本が「アイドル」的売りをしているわけではなく、上述の「弱者に寄り添う芝居」を地でやっているという事実が、本当にそれを必要とする層にリーチしていないのでは、と考えている。
冒頭『赤い河の谷間』がスピーカーから鳴るシーン ~ ジモ登壇
  • 『赤い河の谷間』をバックに「想い」が壇上で舞ってるシーンが再生されて、その時点でもうだいぶ鼻がキてたのに、ジモが袖から出てきてからしばらく「想い」の方に視線を泳がせていることに再見のここで気づいた瞬間、無理になった。
    • ジモ、やっぱ「想い」が見えてんじゃないの、見えてんじゃないのこれ、って。ラストとリンクするこの視線軸に気付いた瞬間、もうだめ。
  • 根本「ジモ単体で先ず壇上に出すのが一番しっくりきた」
  • 根本「ジモが出てきた直後のバースから、スピーカー音源から日野(根本)の声が消えて、ジモ(山中)の生声がそのパートを代わる」、岩井(?)「サブリミナル的」
  • 岩井、ジモの止め画をバックに山中をいじる。山中はこの上映会に来ているが、(まだ)それに気づいていない。
舞台設定
  • 岩井が福原版戯曲を一部朗読。小田急線と相模川が交錯する、といった地理設定(このことから小田原線の厚木近辺を想定しているのだろう)や、舞台上には出てこない校舎、校庭などの風景もト書きには描写されていることが明かされる。
  • 根本は今回の演出にあたって、特に地理設定に関しては考えなかったとのこと。
    • 舞台美術も凄く抽象的だし、土地の匂いのようなものは無い。敢えていうなら、後述する制服の感じから各々が何を嗅ぎ取るか。
舞台美術と衣裳
  • 根本「(山本)貴愛さんによる美術と衣裳の同時制作」、岩井「この同時ができる人間は、欧州なんかには多いが日本では稀少」
  • 岩井 「美術、墓の抽象化について、(役者が動くための)階段を客席に対して真っ対面に配置するのはもう少し何とかならなかったか」、根本「いろいろ事情はある(※意訳)」
    • 日野(もとい根本)の動きやすさとか考慮してそうと思ってた。
  • 根本「衣裳を吊る、というのは美術の大枠確定後に決めたのでフックが露骨だったりとかは仕方ない感じになっている」「それぞれの役者が懸けられ、かつ動きの邪魔にならない高さという点では相当練った」
  • 根本「女子高生の衣裳は、校内服をイメージしている」
    • 制服に、対外的なイメージのためにデザイン性を意識している「通学服」と、登校後に着替える機能性に重きを置いた「校内服」の、2 種を制定している学校があるようだ。
オカルト部、西川と武田
  • 岩井「西川という、ある意味もっとも日野の復活に寄与してしまっている人物を、武田というエキセントリックな人間の陰に隠して、終盤までそれを出さないというのが、恥ずかしがり屋の福原(脚本)らしさ」
    • 後述する「うんこ、まきぐそ」の演出の仕方にも通じる福原評。
墓場、女子高生たちの遊び
  • 岩井「福原版では、遊びの内容があまり女子っぽくないと思っていた」
  • 根本「線香嗅ぎゲームは根本版オリジナル」、岩井「これはどういうルールなんですか」
    • 墓場の適当な場所に落ちている線香をくすねてきて、横一列に並び、せーのっで下手から素早く自分の嗅いでいる匂いを叫び高速で繋げていく…「白檀!「杉!「沈香!」…など。一人目がボケる…例えば「アールグレイ!」などと仕掛けると、その回は茶葉の品種を高速で繋げる回になり、嗅いでいる線香の匂いとは無関係に茶葉の品種をつなげていかないといけない。これに対応できなかったり、詰まったりするとアウト。最後の一人までスムーズに通ると、「もーえろよもえろーーーよーーーほのおよもーえーろーーーーーーー」と全員で歌いながら線香を振り回し狂乱する。狂乱終わりしだい、次の回。
      • 根本「詰まる箇所も含めて台本はガチガチに固めてある」
    • 根本「茶葉ターンで藤松がラプサンスーチョンというマイナーな品種名(中国福建省原産のフレーバーティーの一種)を出してきて、それじゃあ分かりにくいよと言ったらふくれていたので最後に藤松を配置して成立させた」
      • 藤松(ビデオ)「ラプサンスーチョン!!」女子高生たち(ビデオ)「もーえろよもえろーーーよーーーほのおよもーえーろーーーーーーー」、根本「祥子ちゃん(藤松)めっちゃ嬉しそうに踊ってる…」、会場爆笑。
時間軸の表現
  • 極力、暗転のない構成で、「想い」による舞踊ソロ(フックへの服の懸け替えや、小物の倒置も含む)と、裏での女子高生たちのおしゃべりが、暗転に代わる場面転換に相当。相対的にシームレス。
  • 根本「季節の前後は、羽織ものや制服の袖、おしゃべりの中の季語でわかるようにはなっている」
    • 夏(日野が生きている頃の回想)、は照りつけるライトの感じとかでそもそも分かりやすかった気がする。あとセミの SE が鳴っていた気がしていて、それがめちゃくちゃ効いていたのでは。
キャスティング
  • 根本「キャスティングの時点では女子高生群の配役は決めていなかった、7 月のプレ稽古で決めた、けどだいたい頭の中でイメージは内定していた」
    • 役者にも希望の役を持ってこさせており、椙山 → 武田、尾崎 → ビンゼ、山中 → ナカジ、といった具合に、決定稿とかなりずれたものだったらしい。
      • 根本「椙山さんの武田(のような立ち回り)は、鹿殺しで観られるじゃないですか」
    • 組み立て方がセッション的というか、この座組じゃないとできない配役の仕方だといっていいのではないか。凄いワークショップができる座組は凄いということなんだと思う。 『真ん中』 もプロセスは違えど、凄いワークショップが背景にあったであろう点では質的に一致している気がする。
      • 安川まりが前線に出てくる時点で、凄まじい芝居が立ち上がってくるのは自明なんだけど…。
  • 根本「今回自分で日野を演じた理由は、車椅子で通学復帰、初登校したときのクラスメートの反応と、日野が生き返ったときの日野の違和感とが(以前から)リンクしていたから」
  • 根本「ジモは、ラストに残って成立しうる人間が誰かと考えた時に山中に決まっ(てい)た」
ビンゼ勧誘時の合唱部、合唱
  • 根本「合唱部全員に glee 視聴を義務付け、全員が glee 大好きになった状態に仕立て上げ、あとは彼女たちの glee スイッチを入れてあげるだけでよかった」
    • ほんとこれ、glee 観ないとな。
  • 3 曲目の『Somebody to Love』は福原版の別曲から差し替え。理由は、元の曲だと尺が短すぎてビンゼが沈黙(「沈黙は了承の証」)するには不足を感じたこと。あとは上記 glee プロセスで、マジモンの沈黙形成が成立したこと。
    • 本当に小劇場でこのレベルのアカペラ聴けるのは幸せサイコーなのでは。
    • 根本「訳詞は合唱部それぞれに書いてこさせて、いいとこどりをしてマージ、なのでこの芝居でしか存在しない完全オリジナル日本語詞」「かなり意訳」
      • Tenor「い・ま・がそのと~き、い・ま・がそのと~き」Alto「い・ま・がそのと~き、い・ま・がそのと~き」Soprano「い・ま・がそのと~き、い・ま・がそのと~き」
    • 根本「ナカジ役の近藤が奇跡的にテノール域の声を持っていて、それがすごく効いた」、岩井「彼女のスカートの丈の理由が分かった」
      • ナカジは墓に片足をつっかけて、足でダンダンとビートを踏みながら「い・ま・がそのと~き、い・ま・がそのと~き」。
    • 根本「山中さんは訳詞も全ボツになった」、会場爆笑。
      • 山中の持ってきた詞は、切り取るとだめになるタイプのやつだったから。
      • 山中は事情により『Somebody to Love』の合唱から外されている、という事前情報が笑いのコンテクスト。
降霊術 ~ 日野の復活 ~ 『トロイカ
  • 「ソーーーラッ!!」「「「「「ソーーーラッ!!」」」」」
    • 胡散臭い降霊の呪文は尾崎が持ってきた。
  • あの世とこの世が交錯し、作劇上の重要な転換点になるシーンであるとか、そういうのはもうどうでもいい。『トロイカ』がかかって、日野が、「想い」が。もうここで ブ チ 上 げ 。
    • もうほんとにここよ。ここ。
うんこ、まきぐそ
  • 岩井「福原さんは恥ずかしがりだから、自らの演出版ではうんこの話もうんこそのものとしての方向に持っていっていた感じがある」「根本さんはうんこをちゃんと自死のメタファとして演出しきってたから凄い」
    • ここは武田役の尾崎と、その少し後でそれを咀嚼して変奏するメンコ役の小野川がほんとうに、ほんとうに素晴らしい。
「想い」について
  • 根本版オンリーの、13 人目の役。台詞は一切なく、コンテンポラリな舞踊によって全てを表現する、日野の分身のような存在。
    • 観ていたときから、山彦や真壁、そして「死前」の日野といった「幽霊」とは異なった、より高次元の存在あるいは抽象だと思っていたけど、おおむねその感覚は合っていたようだ。もしくは、より年月を重ねた日野(の幽霊)が、舞台上の時間軸にやってきた残り香のようであるとも。
    • ほんとに泣くこれ。「想い」が壇上に出てきて舞ってるだけで、ビデオ上映でも涙出る。こんな身体表現観たことなかった。
  • 本来は riko にオファーしたかったが、スケジュールの関係で出演できないことが明らかであったため、彼女には振付のみを組み上げてもらい、それを表現できるダンサーとして天野が riko の紹介で座組に加わり、最強の体制が出来上がったとのこと。
  • 根本「自分で『墓場、』を演出すると決めた時からまず「想い」(の追加)が念頭にあった」「必要を感じたのは、日野が最も自分を語っていない人物だと思っ(てい)たから」「役名は最終盤に決まって、天野の「たましいか、ことだまのようなものとして躍っている、人間ではない」というコメントから川本が発した何らかの、より近い単語が転じて「想い」という名に決定した」
  • 岩井も「想い」の追加と演出は絶賛。
ラスト
  • 「想い」の存在が、福原版とは全く別の表現、演出でのシーンを形作っている。あの感傷的なラストは、ビンゼ(椙山)が偶然(アドリブ?)コーラを日野の墓前に備えたことから産まれた演出だったらしく。「ちょっとそれ開けて飲んでみて」が予想以上にハマり、その「想い」を視る山中は本気で涙を堪えていて、「(「想い」が)コーラ飲み終わったら泣いていいから」という指示で、ああなったらしい。ガチ泣きだからなのか、回によってジモの咽び方が異なる。
  • 最後に「想い」が日野の墓前を去って暗転するバージョンと、コーラを手にジモの目の前に留まったまま暗転するバージョンとの 2 択だった。女優陣にも大人気のこのラストシーン、どっちがいいかを演出席の後ろに立って見物しにきているジモ以外の女子高生役たちに訊こうと振り向いたら、ほぼ全員が泣いており「いなくならないで!!」→ 即決。
  • チャラン・ポ・ランタンの既存曲『季節は廻る』を、今回のためにインスト(アコーディオン)で吹き込んでもらって採用。このオーラスは、チャラン・ポ・ランタンも泣きながら「いい曲だね~」と絶賛したとのこと。もうほんとありがとうございます…。
  • カーテンコール無いのも効いた。これは要らない。
  • 最後の暗転に、本当に心が圧し潰されそうになる、と同時に救いであることに気づく。