公演中でもネタバレします。Google+ から過去ログも加筆移行中(進捗 7 割程度)。

『クラッシャー女中』 / M&Oplaysプロデュース 演出: 根本宗子

なに書いても負けな気もするけど。

natalie.mu

『愛犬ポリーの死、そして家族の話』 にて“倫理”的にきわどい提示を以って「信じる」ことが描かれたとすれば、本作では「(他者を)理解する」ということはどういうことなのだろうかということを、ゆみこ[演:麻生久美子]と義則[中村倫也]との優に 20 分はあるであろうラストシークエンスを使って描いていた。

… 長いよあのラスト!っていう。その長尺を取った意味というのは本当に最後の最後に分かる仕掛けにはなっていたような気がするし、冒頭から感じた根本の演劇っぽくなさ、というよりもむしろ別の作家、もっと言ってしまえば鴻上尚史の“説教くささ(?)”のようなものを逐一挿入していた理由も、そこで入ってくる1。…ようやく。惜しむべくは、そこで気づいてもう一回観なおしたい、となっても、演者の圧倒的な人気によるチケット需給の崩壊でそれは叶わないこと。だからこそ CS での録画放送が決まったのかもしれないけどね。

誰しもが、ゆみこの視野狭窄に陥る可能性は孕んでいる。それこそ 『皆、シンデレラがやりたい。』 でいうオバサン達の推しへの感情はその一側面であると思うし、今回は同じく M&Oplays プロデュースだったこともあって、どこかその延長も意識していたのかもしれない。でも、一切その対象を(生身で)舞台上に出さなかった『シンデレラ』とは違って、今回は中村倫也をそういうシンボルとして板の上に出していたような気がして、何かとてつもない底意地の悪さのようなものを垣間見たような。でも、それこそ周囲の一切が“騒音”と化すほどの、自分と(ある特定の)他者との関係性が現出もとい幻出してしまったとき、そこに生じているつもりの「わたしの彼/彼女に対する最高の理解」は、まさにあの長ったらしいラストシークエンスに収束するのは事実だろうから…考えれば考えるほどヤーネ。

サブプロットの中でえぐいと思ったのは義則の母親[西田尚美]で、まあ今どきはネットなんかにいくらでも転がっているような話であっても、改めて視聴覚の具象を以って示されるとウエーッとなってしまう。子どもに自分以上のものを期待するあのような“母親”に限って、その行動原理自体が子どもを拡張身体としか捉えていない証左でもあり、結局は拡張身体もとい自分の子どもである以上は、息子が“何も持たざる人間”であってもそれは当たり前なんだよ、あんたの子どもなんだから、というのを受け入れることができない。その末路が自壊2だけならまだ良いのかもしれないけど、往々にしてそれは、自壊への途上で子どもにも向けられることになる ― 「産まなきゃよかった」という言葉として。『ポリー』の三姉妹それぞれの家族の実情といい、そのあたり、ほんっとーに覚悟があって生きてますか?生きていくつもりでいますか?というのを物凄い警告として発しているような気がするけど、根本のそういうメッセージは、どこからやって来ていて、どこへ向かっているのかな。

義則が劇中で決定的に壊れることなく終わったし、演劇としてのエクスキューズとか、現実との線引きといったものは、有ったとは思っている。最後、ゆみこと義則がお辞儀をするのが客席側ではなく3、いつの間にか音も立てない傍観者となっていた他の 5 人の役者に対して、という本当にぎりぎりのやり方で。ただ、あらすじ4を一見したときに期待するようなエンターテインメント風のカタルシスが無いまま、あそこで終わってしまうのは、なんか、

分かりやすいエンターテインメントを、期待?カタルシスの存在が、根本らしさ?

んーーーーーーーーーーーーーー。。。。。。。。。。

情報

M&Oplays プロデュース 『クラッシャー女中』


  1. 翻訳劇のようなガワにはケラっぽさも感じた。

  2. 現実を悟り、受け入れ、自分自身を理解した後に“きちがい(普段は用いる芝居もあるのに、珍しくこの言葉を具体的に出さなかったのは生々しすぎるからか)”になって別次元の世界に自閉してしまう彼女の顛末は、他の登場人物たちにおける“自分の世界”とは異質で、ぐろい。

  3. あそこで(見切りカーテンコール的な)拍手が起こったことに対して、本作のリピーター率の高さとか、女オタの島根への遠征とか、そういったものを強く察した。本当に女性客が多かった(冗談抜きで 9 割 5 分)。

  4. http://mo-plays.com/crusher/#story ― M&Oplays での前作 『皆、シンデレラがやりたい。』 と同様、上演版の話の筋はけっこう変化している。今回はゆみこと静香[演:趣里]の動機が大きく変わっている。「勝つのは女の欲望か、男の欲望か」という、さながらエンターテインメント活劇のような煽りを下敷きにして観に行くと…。

  5. 知名度や人気からしてもう決してそうは言えないのだろうけど、物凄くバイプレイヤー気質なのではないかという風を纏っていた。上手い。長い下積みがあったような背景を感じる。想像していたより遥かに体格が良かった。あと尻。

  6. かわいかった。声が良い。