公演中でもネタバレします。Google+ から過去ログも加筆移行中(進捗 7 割程度)。

【再鑑賞】『昼下がりの思春期たちは漂う狼のようだ』 / アンカル

千秋楽も観にいってしまった。

劇中つかわれていた楽曲を順不同に、憶えているだけ挙げてみる。


抱いてくれたらいいのに / 工藤静香

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2 幕序盤(だったと思う)。ファミリアこと桜田先生への、少女新貝の想いの代弁である。

オリジナルの工藤静香は声の根幹にあるマッチョさというか、「芯」とも違う(芯なら新貝さんにだってある)獣の眼光みたいなギラつきの常に前面に出ている感じが見えるんだけど、これを伊藤ナツキが歌うともう少しパッシブな切迫が出る。ミュージカルのワンシーケンスみたいな。こうやって役者、もといそこに宿る人格固有のヴァイブスが乗るとカラオケでも素晴らしい。結局それが乗るには酔っ払いの二次会的なオレガーオレガーの自己主張だけではだめで、つまり他者にひらいた自己開示のチャネルがきっと(伴奏としての)カラオケを巻き込んで、伴奏に乗せられてるんじゃなくノせる、力すなわちヴァイブスになる。ただそういうのを密室で顔見知りの人間がやってたりするとまあだいたいどうしても生々しすぎる、というのがあるので私はカラオケには行かない行けない行きたくない。このくらいの距離感でみる他者の眩しさとして受信するくらいがちょうどいい…。

曲も良くて、包み込むような F メジャーキーのイントロから短三度転調、D メジャーキーの鋭さをもってタイトル通りの詞に切り込む瞬間が異様にかっこいい。

夜行性の生き物三匹 / ゆらゆら帝国

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卓球部(この曲がかかっているときは 3 人組である)のテーマ。

久々に PV 見直したけどこの団扇をラケットに対応させていたのだろうか。劇中、小口の素振りがスローモーションになる印象的な演出があるけれど、これも事前にこの PV の記憶を呼びさましたりできていたのならば、もしかしたらひょっとこ踊りの体幹感覚が小口に重なったかもしれない。

林のドーピングは Apex Legends のオクタン。

バンドをやってる友達 / ゆらゆら帝国

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またゆらゆら帝国。『めまい』の方ではなく、流れていたのはこっちのバージョン。

飼育小屋チーム。大河原さん役の大河原さんが解説してたけど1、確かに教室外でのみ関係性が成り立っている不思議な子たちだった。みんな良かったけど特に秋谷の、ちゃんときもいと思ったことをきもいと思ったと口に出して竹野くん(とその創作)に謝罪してるところ。かわいそうで劣っているものに対する情というか庇護欲というかで人付き合いをすることとか、中学生だとそれも変にこじれていないぶんかわいく見えるけど、今なら忌むべき感情であるとして排除しうる。しかしそうなると飼育小屋チームに対する「かわいい」という感情も、やはり良くないものなのだろうか。

大地讃頌 (合唱曲)

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二幕の出だしを飾る、合唱曲その 1。何故いるウト君。何故いるウト君。

ウトユウマがそこに居ることを劇中劇的なメタ展開のようにリードさせておいて、彼は実際ほんとうにクラスに帰ってきていた。「父親から逃げることができなかった」という、彼の家庭背景を考えると絶望的な展開が裏にありながらの、その緩衝材として機能する替え歌である。

意図していたであろう「やんちゃなヤンキー」のロールがなりを潜めてマクベスを読みふけるようになった後の、ウトの細かなアクティビティをあまり思い出すことができない。ゲンらとの絡みもあれっきりではなかったか。どんどん閉じていってしまって最後はどうにもならなくなっていた結果の自宅への放火のようにも見えたけど、シェイクスピアを読むという行動そのものがきっと、神の視点であるわれわれ観客すらも視ることのできない彼にとっての「学外」世界の示唆だったのだろうとも。

ウトの隣にいつもいた石井がいつでも良い味を出していた。演者は元タカラヅカの天瀬はつひ。

巣立ちの歌 (合唱曲)

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合唱曲その 2。自分の記憶の中ではこの曲は輪唱の曲として固定されているので、そういうアレンジで歌わされていたんだろうと思う。

卒業の場面ならやはり落合が作文を読み上げる場面がハイライトだけど、あれは初演の落合が書いたのかな。演劇をしなくてもいい自分。

演劇をみなくてもいい私、はこれを 2 回観にいってる時点で無理だな。

FACES PLACES / globe

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竹野くんの見た夢の中の群舞。

飼育小屋で小室哲哉が好きだという言及がひとことだけ為されるのが選曲の伏線になっているとはいえ、これがほぼ脈絡なく劇場に大音量で響いたところで鳥肌。小室曲の具体的な曲選と挿入箇所は想像がつかないし、おまけに群舞までつけてくるところが本当に最高。ゆらゆら帝国にしろ合唱曲にしろ、工藤静香に至るまでそうだけど蓬莱竜太の劇伴セレクトは自分と遠くなく、あるいは遠くとも琴線に触れてくる。今回はその物量が圧倒的だったというのもあって二度も観にいってしまったところがあった。

この曲、C キーで書いてたつもりがどういうわけかギターのマジックで D キーに行ったのではないか、みたいなことがまことしやかに言われている2。確かに C(C キーのトニック)で始まって D(同じく D キーでのトニック)で終わる 18 小節 1 コーラスは、部分転調と呼べるような理屈で接着しているようにはきこえない。ただ行って、帰ってきてるけれど気づきづらい何か。実際自分でもコードを採ってみてほぼ全編を(セブンスすら含まない)三和音で書けてしまったこの譜面のツラは、それだけ追うと何が凄いのかを捉え難い。その曲展開が抱えるエネルギーの実際は、原曲は勿論だけど最近の、というか今年の音圧で採られた千秋とマーク・パンサーのコラボ動画で確認してみてほしい。これもカラオケなんだからやっぱり人間に必要なのはヴァイブス。圧巻。

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