公演中でもネタバレします。Google+ から過去ログも加筆移行中(進捗 7 割程度)。

【再鑑賞】『夢と希望の先』 / 月刊「根本宗子」第13号

あらすじ

初回のほうに書いてある。

cobayahi.hatenablog.com

可逆的な再鑑賞性が必要であるという主張

  • BS スカパー! STAGE LEGEND NEXT での録画放送で観た。視点は制限されるが、顔のアップなど、良い部分もある。

    • 生モノは、本当にその場きりの上演だとその時の自身とのマッチングでしか感想などを抱けないので、後に見返してどう印象が変化したか、といったフィードバックが無い。これはとても勿体ないことだと思う。

      • それ以前に、良い芝居がその時チケットを取ることのできた観客の間にしか共有されないという状況1そのものが、おそろしく勿体ない2

再鑑賞して

なお、リメイク前の『夢も希望もなく。』は未鑑賞。

さっちゃんのセクシーカレー
  • 『夢と希望の先』クライマックスで使用される大森靖子の楽曲であり、初演(正確には原作)『夢も希望もなく。』の 1 年後にリリースされている。詞に『夢も希望もなく。』とリンクする感覚を得たという根本のインタビュー、ならびに「観たい終盤のカットから逆算して芝居を組み上げていく」ことがあるという彼女の作劇手法をどこかで読んだ記憶があるから、おそらくリメイクの軸はこの楽曲と、それを上手・下手を超越した時間軸で歌唱する幼馴染の友人、という画作りが念頭にあって、そこから初演との差分が組み立てられていったのではないか。

    • 主役の名前が、楽曲の登場人物に合わせて「ちひろ」から「幸子(さっちゃん)」に変更されている。

    • えつこ(えっちゃん)の属性が、看護師志望からミュージシャン志望に変更されている。

    • 上手でも下手でもない第三の舞台、すなわち舞台美術の 2 階部分であるえっちゃんの実家の軒先、はおそらくリメイクで追加された構造と思われる。脚本の必然性やえっちゃんの属性変更から考えると、えっちゃんの姉貴もリメイク前には居ない可能性すらある。

  • トライアングルのように分割された上手・下手、そして 2 階という画の先に作り得るのは、時空の“壁”を突き破るように出てくるお立ち台のラストシーンでしか有り得なく、ひいては後述するタイトル変更にもつながっていくのかもしれない。

タイトル変更
  • リメイクに際して芝居のタイトルがポジティブになってはいるが、幸子の状況は芝居の終盤で人生どん底そのものであり、相変わらず夢も希望もない。

  • 同じく芝居の終盤、ゆうちゃんのために変わらんとまず髪を「ゆうちゃん色に」染めようとするさっちゃんから見えるヴィジョンは、夢と希望の先。まさに目と鼻の先、上手の部屋に、ゆうちゃんにキ○○イとも揶揄されるババアのさっちゃんが顕現するのだが。

    • リメイクに際して、終盤の力点が 10 年前の「さっちゃん」側にシフトしたという状態をタイトルにフィードバックしたのだとすれば、タイトル変更も、〆を橋本愛が行う意味も、半ば強引に持っていくラストカットにも、現実感が出てくる。
〆のさっちゃん、橋本愛、そしてミュージカル

きっとこれは、ババアの私の妄想だけど、
でも、良いイメージを持って前に進むために必要なアタマのおかしい妄想なら、
この先いくらしたってかまわない。
だって、この物語はここで終わりだけど、
私の人生はこの先、何年も、何十年も続くんだから。
ならば、今こそ、今を生き抜くアタマのおかしい妄想をするのだ!

初めてラストの橋本愛のこの台詞を聞いたときは、エッと思った。ここまで展開してきて最後にぶっ飛ばした妄想オチかと。

しかし終盤の力点が 10 年前のさっちゃん側にぐっと引き寄せられる展開をかえりみるに、未来からの干渉は、10 年前の、というより彼女を基準とするならばむしろ「現在」のさっちゃんが取りうる選択に影響を及ぼしうる、ガイドラインのひとつとしてしか機能しえない気もしてくる。

例えばデミアン・チャゼルが『LA LA LAND』のラストで描いた、ピアノ弾きのおじさんが妄想する「選択によっては有り得たかもしれない未来、あるいは並行する現在」は、「夢も現実で、どっちも本当」であり「それがミュージカルの力だ」として、その夢現な重ね合わせの状態を肯定したものだという3

さっちゃんが上記の台詞を声高に叫ぶ後ろでは、ゆうちゃんもアンナも、幸子も優一もその浮気相手も、高知に帰るはずのキ〇〇イ隣人も、そのほか全員がそろってミュージカル『アニー』の『Tomorrow』を合唱している。幸子役の根本はむしろバックグラウンドのコーラスの一部に溶け込み、お立ち台に凛と立つ橋本愛を引き立てる側に回っている。

妄想オチだと思って観ていた時も、ババアになった未来の自分に向けて語りかけるさっちゃんの、

あなたが後悔してるところ全部、私がやり直してくるから

という台詞には物凄く引き込まれるものを感じたし、それこそ幸子の「頼んだよ」という返答にも、鑑賞者の回答を代弁しうる勢いがあった。

さっちゃんが良いイメージを持てば、えっちゃんも帰ってくるし未来は変わる。ゆうちゃんも変われるかもしれない。

初の本多を踏むにあたってこの結末を取った意味が 2 年経っての再鑑賞でようやく、肯定的に見えるようになってきた4。ソフト化は大事ですね。

まとめ

橋本愛にはたいへんな説得力があり5、得がたい立ち姿のある無二の役者です。

ババアのさっちゃんはこれからどうするのか

うら若き幸子のこれから先は置いておいて、ババアのさっちゃんも、この先を生きていかなければいけない。

先ずは相棒のパクリみたいなドラマ「刑事、荻野!」で出世した小倉さん[演:鈴木智久]に、取りあえずコンタクトしてみてほしい。


  1. 現実的な問題としては、使用した劇伴等を TV 放送で公衆に送信したり、DVD などのメディアとして頒布する際に、新たな権利関係の課題(主に金銭)が現出するために生じると考えられる。

  2. 根本宗子の演劇だと例えば 『スーパーストライク』 なんかは、(ミュージカル楽曲を多用しているせいか)放送やメディア化は厳しいだろうという旨の話が本人の口から語られている(ロフトプラスワンでの上演会において)。

  3. 町山智浩の映画ムダ話 #43」あたりを聴け。

  4. もちろん我々は橋本愛ではない上、多くの人間の生は芝居ではないことは肝に銘じておく必要がある。

  5. 真髄はえっちゃんとの最後の口喧嘩のシーンと、“さっちゃんのセクシーカレー”間奏での「好き」連呼で、このあたりは声、表情、角度に至るまで、ジレンマを引きずりながら舵を切ってしまう切実さがこれでもかというほどに迫ってくる。隣でラジカセを前に泣き崩れる根本との対比もあって。