公演中でもネタバレします。Google+ から過去ログも加筆移行中(進捗 7 割程度)。

『母と惑星について、および自転する女たちの記録』 / パルコ・プロデュース 演出: 栗山民也

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あらすじ

ひと月前に母親[演:斉藤由貴]が突然死んだ。遺骨を撒くために集った三姉妹。旅先で彼女たちを迎える出来事と、各人による母親との関係性の回想とが、交錯しながら描かれる。

この作品における母親は、母親とは言い難いエキセントリックな人間で、一言で言うなれば毒親そのもの。

長女 美咲[田畑智子]と母とは“女同士”の関係性のようである。母は、女としての自分に固執するために、長女の“女”を犠牲にするかのような言行を取り続ける。

次女 優[鈴木杏]と母は“女友達”に近い。次女は次女で万引きをするようなアウトローな時代があったようだが、母は怒るでも咎めるでもなく逆に万引きしたものを値踏みする、まさに悪ガキ友達のような側面をみせる。

三女 シオ[志田未来]にとっての母は“暴力”と“ネグレクト”の象徴である。暴力は言葉による加虐から森の中への放置まで、その質を問わないし、保護者としての親の姿はそこに無い。

回想における各々の母親への心象と同様に、現在における彼女たちの独白手法もまた異なる表現をもつ。長女は旅の経過を手帳に書き留めており、その文章が独白の代わりを果たす。次女の場合は、夫とのメッセンジャーアプリの内容が要所要所で壁面の美術に投影され、彼女の所感を間接的に観客に示し与える。三女は舞台から直接、観客に向かって語りかける。

父親不在といってよい彼女たちには、それでも母に“親”を求めるしかなかった。“自転”していくために必要な母性として自分たちが母に何を依拠していたのかを、イスタンブールあるいは長崎を舞台に明らかにしていく物語。

観劇録

  • 2016 年、蓬莱戯曲 3 本目。

  • 三女のみ父親が違うという点が彼女の劇中での葛藤に結びついていくのだけれど、長女と次女でえらい顔の雰囲気の近いキャスティングをしたなあという観劇前からの印象が、そこで腑に落ちた。

    • 意図的かどうかは知らない。本当にそこまでやっていたのだとすれば、すごいキャスティングの仕方だと思う。
  • 志田未来の役への入り込みには鬼気迫るものがあって、よかった。けれども「上手いな」というメタな感想が観劇中に浮かんだので、完全に観客を引き込む域にはなかったということ。

    • まだ主演 2 作目みたいなので、これからどうなるかが本番か。伸びるんだろうなとは思った。
  • 母親という“引力”から逃れられない子どもがその種の呪いにどう向き合うか、という題材は、春に観た 月刊「根本宗子」の『忍者、女子高生(仮)』 に似ている。

    • 解が対照的。個人的には『忍者、…』で主人公が選んだ闘争(あるいは逃走)を評価する。“引力”の正体がわからないまま、それを求め、その力の源が消滅した(死んだ)後も“自転”のためにどこかそれに依拠し続けるような、そんな選択はある種の敗北、死だと思う。演劇だからこそ、創作だからこそ、受け入れてほしくはなかった。三女はあんな心象風景が残ったままで、それでも母親の最後の言葉に従って産むという決断をするわけだけれど、あの言葉に(深層で望んでいた?)母性を垣間見てしまったのであれば、似たような人生を自らの子どもにも引き継いでしまうだけな気がする。

      • “自転”という響きに感じる、どこか受動的・消極的な、流され行く感覚。

      • どちらかというと長女が、産むという選択…むしろそれ以前に結婚に否定的な側に振れ育っている。しかし長女のバックグラウンド(母との関係性)は、回想で描かれたように三女とはまた異なるし、何より長女はこの物語の主人公ではないだろうから。誰もが母親になることを夢想するような、何か当たり前のこととして“産む”という事象が降りてくるような考えはものすごく苦手だ。蓬莱の芝居にはとても好きなものが多いけど、この芝居における“親”あるいは“母”の感触には、珍しくはっきりと、断絶を感じた。登場人物の心情は受け入れられなくとも心に迫る芝居はある(例えば 『悲しみよ、消えないでくれ』 のように)。これは、何かが違う。

  • 舞台上はとてもシンプルで、背面に垂れる布様のスクリーンと、床面のほんのいくつかのオブジェクトのみ。少し“八百屋”になっていたかもしれない。スクリーンに投影されるいくつかの色彩と時には紋様、あるいはグラデーションで、イスタンブールそして長崎の場所場所を表現する照明効果は、まるで幻を追う姉妹の心象風景のように淡く、それでいて力強かった。

    • この質感をもって目に焼き付く美術は、まだ他に観たことがない。シナリオには理解できない部分があったが、この効果を観ることができただけでも、行ってよかった芝居だったという風に思える。

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