公演中でもネタバレします。Google+ から過去ログも加筆移行中(進捗 7 割程度)。

『アイスとけるとヤバイ 』 / 悪い芝居 vol.24

natalie.mu

地方結成の劇団だと、どこかしらのタイミングで自身のバックグラウンドに対して、劇作をもって向き合うときがくるのかな。 鹿殺しもそうだった 。役者個人にまで分解すれば、特定の劇団に限らずそれこそ殆どの人間が上京組なのだろうし、これは演劇人が必ず行き着く何かなのかもしれない。ちなみにこの劇団はあくまで京都が拠点だというが、本作の初演が東京のみの上演だったことなどを鑑みても、ある側面ではやはり“上京劇団“的だ。しかしながら完全に上京に踏み切ってもいないからか、上記の“向き合い“に関しては幾らか距離を置いた、相対的に俯瞰寄りなポジショニングでの描写だとも感じた。

要素としては明らかに、都会と地方とのタイムスケールの違いがひとつのテーマになっていて、月並みではあるけれども、都会のスケールに適応していく自分に思い悩む青年期の女の子、寿とがり[演:清水みさと]が主人公の一角を担っている。これはほぼポジショントークなんだけど、演劇関係については本当に上京以外の選択肢は取りづらいと思っていて。地方に残ってやっている劇団の芝居や、そこから東京へ出て行った人間の芝居なんかも観た上で改めて思うんだけど、上京するという覚悟だったり、それを実行する人間ないしは劇団の精神性のほうを、絶対に私は推します。だからこそ自分も戻ってくることを選んだ。結局、地方でやりつづけることが大事というのは研究/学術的な、あるいはほんの“間口“としての機能以上のものは(少なくとも現状、)実感として発揮されえない。だからこそ、為すべくして為される上京なのではないかと思うのだけど、逆にいえばそれ以外に選択肢が無いということでもあって、それを“取らされる“側、すなわちあくまで出身地に帰属意識を持ち続ける人にとっては、劇中のとがりのジレンマはリアルなのかもしれない。私には決して理解はできないけれど。

群像劇でありながら、全体的にはとがりと近藤春夏[演:岩井七世]との二軸構成にしっかりと落ち着けていたため、話は散らかりすぎず印象は良い。どこかしらが観客のツボに入るようにか、ネタの引き出し(の多さと配置)にも気を配っている感じがした。ちゃんとエンターテインメントを意識し描き出せているからこそ、メタすぎる部分はあっても最終的に不快にならない。劇中劇の殺陣もしっかりしていたし。その劇中劇でメインを張る 2.5 次元俳優「炎上寺タケル[演:久道成光]」の舞台外でのだらしなさの描き方が軽妙に酷い。「(俺には)向上心もない!」あたりの、情けなさと開き直った強直とが同居する独白がツボに入ってしまった。意識低い側の演劇人が、都会スケールの中でもがく主人公と同じ芝居に棲んでいるというのは、作為的で意地が悪くもある。炎上寺の役者は客演(劇団 4 ドル 50 セント)なんだなあ。言われてみれば外から採ってこないと得難い身体能力な気がするけど、メタに笑わせにくる類の芝居におけるメインコメディリリーフだったこともあって完全に劇団員に溶け込んでいたし、もっと言えば食ってた。寧ろ、異常な挙動をしてたのは半数以上が客演のようだ。この人選とその客演の“立て方“は、(当の演出された側がどう思っているかというのは置いておいて)好感がもてた。普段だったらちょっとどうかとも思ったかもしれないけど、そういう芝居だというエクスキューズの存在でしょう。