公演中でもネタバレします。Google+ から過去ログも加筆移行中(進捗 7 割程度)。

『今、出来る、精一杯。』 / 月刊「根本宗子」上映会 再び第7号

上映会という形態ではあったものの、その上でなお、芝居にしか成し得ない表現、小説や映画や漫画ではなく芝居を観に行かないといけないと思った理由を強く認識させた、ターニングポイントのような作品です。

月刊「根本宗子」 『今、出来る、精一杯。』『超、今、出来る、精一杯。』上映会 – LOFT PROJECT SCHEDULEwww.loft-prj.co.jp

ケレン味のついた日常、という芝居

とあるスーパーマーケットのバイトコミュニティを中心とした舞台で、登場人物はとても多い。

関係性が集約される先として 3 人のダメな男がおり、彼らよりは自立して人間関係も豊富なように見えて、しかしそれ故に抱え込んでいるものを共有する先が彼らでしかない女性 3 人を軸に話が進んでいきます。3 組の話がアパートの一室、バイト先の控室、あるいは何処かの屋上、で並行して展開し、時には接触し、最後にやり場のないそれぞれの関係性が爆縮したカタルシスに突入します。

みなみ[演:長井短]の場合

バイトのお局様ポジションである利根川[梨木智香]にいびり回される若輩の彼女に、交際相手でもある店長[オレノグラフィティ]は一切の手助けをしようとしません。

それもそのはず、かつて交際関係にあった時に店長持ち前の絶技でしか快楽を得ることのできない身体になってしまっていた利根川は、今でも彼に“手”での関係を強要し続けていた。お局の暴走はとどまることを知らず、スタッフの控室でそれは具象を以って、みなみを含めた多くの従業員の前に、明らかになります。

デフォルメにも限度があるだろうという物凄い痴女を配した展開で、これは一体どこを向いて作ったパートなのかという気持ちも起きるのですが、同じくどこを向いているのかわからない謝罪の後に梨木の股ぐらへ手を突っ込むオレノグラフィティという凄絶な画を見せられ、観客は咀嚼する暇も充分に与えられないまま、みなみと共に衝撃の淵に追いやられます。なんなんだよこれ。

一度はバイトを休むまでに追い込まれたみなみは、しかし店長を救うことができるのは私しかいないという使命感に導かれるように再びスーパーに現れ、長手の炊事用ゴム手袋のようなものを装着し、利根川の下半身に立ち向かっていきます。

彼女の主舞台であるスーパーのパーティションは大きく、集うキャストも豊富であるため、最終盤、彼女が利根川を絶頂に導くところでは、芝居のカタルシスにおける火力の一端を担います。

端的にいって、本当にひどい。

ひどいのですが、役者としてのオレノの使い方が一番うまいのは、彼が本籍を置く劇団鹿殺しでもなく、根本なのではと思うのです。

ハナ[演:あやか]の場合

彼女が養う安藤くん[宮下雄也]という人間は、バイトは出来ない、人手不足のスーパーに採用されても帰ってくるたび自分の対人能力の低さを転嫁するような愚痴の連続、炊事においては飯も満足によそえないという、生活能力に著しく支障をきたした物凄い人間なのですが、ハナはそんな彼を優しく支え続けます。

そんな一方的なバランス感覚の上に成り立つ均衡は、親友が死んでしまったというハナへの突然の電話連絡を期に崩れていきます。

喪服に身を包み、まさに友人のお通夜に向かおうという彼女に、バイトから帰ってきたばかりの安藤くんは今日も愚痴を聞いてほしくてたまらない。彼にとって、他人との関係性はそれ以前も、そのさらに前も、ずっとそうだったのでしょう。安藤くんが決して、悲しいときの自分を支えてくれるようにはできていないことを悟ったハナは、ついに心の琴線が切れてしまい、彼の下を去ってしまいます。

生活能力の著しく低い安藤くんは、何もすることができず、支えも失い、部屋の中に取り残されて閉じこもります。バイト仲間の西岡[片桐はづき]が、誰とでも平等に接する気前の良さでフラリとその部屋を訪ねます。安藤くんは誰でもいいので縋りたいのですが、気前の良さゆえにドライでもある西岡は、パチンコの代打ちに呼ばれてサッと出ていってしまう。逆上した彼は包丁を持って後を追い、血塗れになって部屋に戻り、再び泣きながら引きこもります。

通夜が終わり平静さと、安藤くんの脆さに対する危機感を取り戻したハナは、部屋に戻ります。すべてを理解したハナは、それでも安藤くんのために、彼が無罪になるためにはどうしたらいいか、冷静にアリバイを練り始めます。

あやかが、普段演じることのないような色っぽい女を演じており、MVP といえます。また、このパートは途中まで、芝居の“転”を司る重要な場面を握ってもいました。それ故、最終盤の展開は些か肩透かし。カタルシスにおいて他の二者より“静”に寄ったものを担わせたかったのかもしれませんが。しかし、安藤くんに関しては扱い方を間違えるとハナにも危害を及ぼすかもしれず、またこれまでの二者の関係性を顧みれば、このような選択を取るということもまた「今、出来る、精一杯」なのかもしれないという、含みのあるパートとなっています。

惜しいですが、三組三様のカタルシスの中に放り込まれると、ハナの独白は意外と引き立つコントラストでもあります。

未来[演:根本宗子]の場合

子どもの頃に学校行事で事故を起こし、それからずっと車椅子で過ごしている彼女が、飯も満足に準備できない安藤くんに箸を投げつけるところから芝居は始まります。

オープニング後の暗転を経ると、安藤くんはもうハナに養われている。未来は自力で炊事も困難なようで、毎日スーパーにやってきては、食品コーナー担当の金子[野田裕貴]に弁当を無料でよこせとせびり続けます。裏ではバイト達にクレーマー、キ○○イ女という物凄いあだ名で呼ばれてすらいる彼女に、金子は強く対応することができずにいます。金子こそが事故の加害者だからです。

金子は金子でその事故以来、吃音症になってしまい対人関係にコンプレックスを持っています。あげく個人的感情からスーパーのバイトをさらに辞めさせる展開になってしまい、外部からは未来の圧力もあって、次第に追い込まれていきます。屋上にて悲嘆に暮れる彼のところへ、追い打ちをかけるように車椅子の未来がやってくる。事故の一件から執拗な追跡を見せる彼女の口から語られるのは、恨みつらみとは表裏一体の、切実な依存の告白でした。

弁当をもらえる限りは、生き続けようと思った。

安藤くんにすら縋らないと生活も困難だった未来が、彼さえも失った中で拠り所とする生へのモチベーションが、芝居らしい激しいデフォルメでありながらも切実で余りある。こんな身体になったのも全部あんたのせいだけど、そのことを全てわかっているのもあんたなんだから、わかってよ、という復讐と依存とがない交ぜになった濁流のような彼女の感情が金子をも突き動かし、その勢いのまま二人は、屋上で泣き叫びながらの激しい抱擁に突入します。

未来を演じる根本宗子も似たような経緯から青春時代を車椅子と過ごしたというコンテクストが、未来の一連の告白に切実な説得力を積み増し、芝居のクライマックスを引き立てます。

芝居にしか成し得ない表現

最終盤、みなみの奮起、ハナの独白、未来の抱擁が並行して進み、次第に音量を上げる劇伴と、「今、出来る、精一杯。」という言葉を長文に展開したようなテロップがスーパーの壁面に投影される中、各々のカタルシスが極大を迎えます。

この極大点にて、物凄いテンションで叫びながら抱擁をしていた未来すなわち根本宗子が突然、弾かれるように車椅子から立ち上がるのですが、その瞬間に感じた衝撃のようなものが、私を劇場に向かわせるのだと思います。

例えば映画や漫画で同様の描写を入れると、観客は何かしら意味づけをしたくなるのではないか。未来に奇跡が起きて足が治ったのかもしれない。あるいは、車椅子すらも彼女の方便だったのではないか。小説では、そもそもこの立ち上がるという描写そのものを躊躇うかもしれません。しかし芝居は、足が治ったとか、描写の躊躇いとか、そういったものの一切を排除する。そこで彼女が立ち上がることそのものが芝居を“成立”させるのであり、“成立”まで舞台を、観客を、持っていけるのだと思います。それが芝居の、生モノの、テンションだからです。

そしてこのようなテンションの奔流を大々的にフィーチャーするでもなく、あくまで 3 組のドラマが並行かつ独立に頂点に達していく中へ放り込むというギミックの効かせ方に、決して感情先行だけではない、根本宗子の作家としての心意気のようなものをも感じたのです。

アヘッドさが見事に突き刺さってしまい、数週間くらい余韻が抜けなかった。

このような瞬間を演劇が、ねもしゅーが、見せ続けてくれる限り、劇場に、あるいは月刊「根本宗子」に、足を運び続けるのでしょう。

情報

月刊「根本宗子」上映会
月刊「根本宗子」再び第7号『今、出来る、精一杯。』
  • 2015-10-23 ~ 2015-10-30
  • 於 中野テアトルBONBON