公演中でもネタバレします。Google+ から過去ログも加筆移行中(進捗 7 割程度)。

『no room』 / 構成: ハラサオリ

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F。7 度。F。7 度。階上で鳴るビブラフォン。フェルトのまるっとした響き。あるいは不快なまでに増幅された耳を刺す倍音を含む響き。楽器として音階を持ちながら、かつ腕の動きひいては材質、打撃が直に音を形作る。これは広い意味でのパーカッション。

静寂。咳払いひとつない空間。煉瓦の壁に向かってひきつけを起こすダンサー 2 人。突然後ろで破裂音。振り向くとチャコールグレーのフロアタムにオープンハイハット。階上でビブラフォンを鳴らしていた、少年らしさの残る演奏者が階下のそれをフリーテンポで叩き鳴らす。飲食は禁止です。NO DRINKING。ただし音を鳴らすことに関しては禁止されていない。だから爆音。正面に陣取っていたからすんごい圧。黒いレースを被った 2 人のダンサーがドラマーの手からマレットを取り上げスティックに差し替える。次いでブラシに。ロッズに。別のマレットに。そしてまた別の。黒子はその後、ワンフロアとハイハットのみだったセットにオレンジパールカバリングの新たなフロア、打面のみのドラムパッド、そしてチャイナシンバルを付け足す。フリーだったソロに色彩とテンポが付いてくる。そもそも何を観に来たんだっけ。かっこいいからいいけど、コンテンポラリーダンスってドラミングによる身体表現も包括するのだとすれば、それも当然。そういったことを考え始めた直後に、ドラマーに金の紙吹雪を浴びせていた両側の黒子が、その黒い繭をかなぐり捨てて踊り狂い始めた。いいね。一礼、拍手。


会場、旧、ノグチ・ルームは、当然ながら確固とした信念のもとに制作、慶応大学三田キャンパス内に建設されたが、意図しない管理問題に翻弄され、現在は当初のコンセプトであった庭園…「地面」と切り離された 3 階に移設。さらに、明確な配置意図の存在した庭園のオブジェ『無』においては、ルーム内から望むとその彫刻の腕の中に地平に没する太陽が輝いたというが、その意図は移設に伴う軸線のずれによって消失した。そうして名実ともに解体・再構築された旧ノグチ・ルームは、談話室として設計されたという著作者の思いとは異なるかのように、通常非公開の「文化財」となっているという。

イサム・ノグチアメリカ人として生を終えたのは、終戦後の感情論によって彼の日本での創作が挫かれたからなのだろうか?ならば、彼が三田に残したこの room は果たして、日本人の血を引く彼による、日本の誇る財産か?たとえそれが、著作者人格権を認められながらも別の理由によってコンセプトの解体を避けることのできなかった、創作の成れの果てのようなものであっても?どこかノグチと似たような生い立ちを漂わせるハラが意識的に開催するようなイベントでもない限り、本来の建設意図である談話あるいは交流が為されない、文化財となってしまうことが?

ノグチは、そしてハラは、私生児でありながら父と同じ道を歩むと決めた時に、父親の姓に改姓を図っている。どこか、記号でしかありえない姓名、戸籍名に、職業あるいは彼らがそれを継ぐという覚悟が、属性として規定されている。ハラは「原」姓を名乗り始めてから、ハラサオリという新たな自分を構築し、纏うようになったという。改姓前の自分のことはぼんやりとしてよく憶えていないともいうが、ひとり人間の中にある何人ぶんもの「よそ行き」、あのコミュニティ向けのわたし、あのひと向けのわたし、インターネット向けのハンドルネーム、それぞれの中で生きるわたし、わたし達。それらはノグチやハラに降りかかったような、特殊な生い立ちだけが与えうるものではないはず。

(略)連続する状況は空間的な社会を立ち上げる。その中に配属される我々の身元と帰属は、自らの意志で繋ぎ止めておくことはできない。
ハラサオリ


明日からまた平日だ。スーツという同調、満員電車という圧力に乗って。「社会」向けのアーマーを身に纏って。髪を染めてはいけません。私服で出勤してはいけません。電車の外で、ビルの外で、走り回ることに関しては?アオーン。


Dance New Air 2020 プレ公演 サイトスペシフィックシリーズ Vol.3『no room』

  • 構成・振付 ハラサオリ
  • 演出 ハラサオリ、BLESS、角銅真実
  • 出演 ハラサオリ、小暮香帆、大井一彌、木村和平
  • 記録写真 木村和平
  • 開演 2019-11-04 16:00
  • 慶應義塾大学三田キャンパス 旧ノグチ・ルーム