公演中でもネタバレします。Google+ から過去ログも加筆移行中(進捗 7 割程度)。

『イーハトーボの劇列車』 / こまつ座

こまつ座「イーハトーボの劇列車」 | 熊本県立劇場www.kengeki.or.jp

一頭の肉用家畜を育てる為に必要な畑の面積と、その非効率性から肉食の非合理を説いていた宮沢賢治[演:松田龍平]。彼は後年、ユートピアとしての象徴に地元の墾地をチューリップで満たそうというビジョンを語ったとき、百姓出身の刑事[山西惇]からより感情的に、より完膚なきまでに反撥を受けて途方に暮れる。

理想郷を地元、花巻に作ろうというきっかけになったのは、自らの法華経への帰依と、それによって念仏宗であった父[山西惇]との間に起きた、対立であった。父の緻密な法華経研究による反駁に言いくるめられてしまった賢治は、上京をユートピアの外部化と規定され、花巻に帰らざるを得なくなったのである1

賢治が肉食の非合理を説いた相手である三菱のホープ、福地第一郎2[土屋佑壱]。彼は当時、題目を唱えながら妹とし子[天野はな]に肉を食べさせる3賢治を気味悪がっていたが、晩年の病床の賢治に対して、敬愛する石原莞爾と同じ国柱会に所属したことを伝える。そして花巻に法華の理想郷を定めた賢治とは正反対に、福地は満州へとさながら「極楽浄土」を求めて旅立っていったのだろう。

このような具合で、本作で描かれる賢治は、いつもうまくいっていない。彼が最も必要としていたであろうタイミングにおいて、求めていた理解は得られず、ずっと後になってから他者の理解がついてきたり、それでもどこかずれていたり、あるいは理解を得られずに折れた先に過去の自分からのしっぺ返しが待っている、といった感じだ。

賢治と共に上野行きの列車に飛び乗った男たち[宇梶剛士福田転球、小日向星一]も、彼と同様に夢や意志を持って花巻を飛び出したはずが、再び賢治が上野行きの列車に乗る頃には次々と神野[中村まこと]のサーカスの見世物に加わり、惨めな生活を送っている様子が現れる。

対比される登場人物たちと賢治とで何が違うかと問われれば、賢治は念仏宗ほどユートピアを外部化することはなく、それでいて自らの一生の範囲内では花巻で開花するであろう内的な理想郷、すなわちイーハトーボの現出に立ち会うことはできないだろうと考え、より長期的な視点に立っている部分だろうか。

だからこそ、賢治だけは唯一「銀河鉄道」の出発の際に車掌ネリ[天野はな]に話しかけられたのかもしれない。そして彼の「思い残し切符」は個人に届けられるのではなく、舞台上から客席に向けて撒き放たれる。

しかし賢治からの思い残し切符は、それまでの思い残し切符 ― すなわち後悔をもった死が赤帽子の車掌[岡部たかし]を経て賢治へ、ほぼ間をおかずに手渡され続けてきたもの ― と比べれば、彼の死からおよそ 85 年、あるいは本作の初演からもうすぐ 40 年、随分と間が開きすぎてしまっている。どんな切符にだって有効期限はあるだろう。そして受け取りにきた観客には、その切符を持って歩き出せるほどの若さが、力が残っているのだろうか。

生前は作家としてほぼ無名であり、死ぬまで親の脛をかじっていたと言われ、またその思考も活動も、生きている間は全てが報われていなかったような宮沢賢治。死後ようやく向けられるようになった大衆からの眼差しに、『イーハトーボの劇列車』の賢治は何を思うのか。また、『イーハトーボの劇列車』を観て、宮沢賢治は何を思うのだろうか。

列車の音を、アンサンブルが口から出せる音だけで表現し続けていたのが印象的。ダッ、シィーーーーーッ。「銀河鉄道」にて、初めて本物の汽笛が鳴る。

参考

イーハトーボの劇列車 - Wikipediaja.wikipedia.org

こまつ座第126回公演「イーハトーボの劇列車」|西美濃イベント情報|大垣地域ポータルサイト 西美濃event.nisimino.com

情報

  1. もちろん有名な妹想いを逆手に取られたというのもあろうし、実際にとし子(トシ)の病もあっただろう。

  2. 上演時間の 2-3 割程度を賢治と共に過ごす彼であるが、創作上の人物とのことである(モデルはいるのだろうか)。そしてこのことからも、本作は評伝の評に重きをおいたフィクション、井上ひさしの「作品」として捉えるべきだろう。

  3. 賢治自らは肉食を禁じていたが、病床にあったとし子には滋養をつけさせなければならないということで肉食を認め、自らは題目を唱えながら、一口ずつ妹の口へ肉をよそう。