公演中でもネタバレします。Google+ から過去ログも加筆移行中(進捗 7 割程度)。

『ΛΛΛ かえりの合図、まってた食卓、そこ、きっと——』 / マームとジプシー

MUM&GYPSY10th Anniversary Tour『あっこのはなし』『ΛΛΛ かえりの合図、まってた食卓、そこ、きっと──────』平成29年9月13(水)/16日(土)・17日(日) | AI・HALL(伊丹市立演劇ホール)www.aihall.com

『チック』 にも似た、回転するプレーンな舞台装置。“回転”は場面転換に使うというよりは、あるシチュエーションあるいは台詞を言った後に舞台を少し回し、ニュアンスの変わった視点で同じシーンを繰り返す、といったような多面的な解釈の提供に、多くを使っていた。

この舞台装置の使い方に象徴されるように、とにかく同じカット/台詞を反復させる1。反復の度に役者のニュアンスや、(回転によって)舞台の視点が変わる。そんなことしなくても、演者と客との関係性ってもともと多面的な要素で成り立ってません?という疑問は置いておいて。その組み合わせを物理的に増やして観客に選択させるのかもしれない。あるいは内面での想像の余地を拡げる仕掛けなのか?あまりしっくりは来なかったな。

家族の話でありながら、全員が真っ白いブラウスとダブっとした白いボトムスで衣装を統一しているため、どの役者が家族のどれを演じているのか、を把握するのに時間がかかる。演者はプレーンな舞台上に線の細い角材で次々と“駅”や“一戸建て”といったオブジェクトのフレームをおっ建てては片づける“黒子”のような役割も兼ねるから、敢えてアイコニックな服装にしないという意図もあったのだろう。あるいは、家族を構成員ごとにキャラ立てさせることよりは、家族を群体と捉えたかったのか。結局は、やはり父親には父親の、母親には母親の、…役割があるため、肝心の物語が立ち上がってこないという弊害の方が大きく感じた。配役を完全に把握した頃には、上演は半分を過ぎていた気が。


藤田にとっての「かえる場所」というのは結局どこだったんだろうか。コミュニティなのか、土地なのか。土地(地元)ありきのコミュニティなのか、コミュニティの帰属する土地なのか。テーマ的には、上京して都心に住んでいる元地方民が見る芝居であって、地方で公演するような演目ではないかもしれない2。さらに「かえる場所」に関して、特に土地の面での執着が存在しない人間が観た場合は、テーマを捏ねるためのバックボーンが無い状態での観劇になるため、けっこう空虚。

マームとジプシーという“ホーム”での演出を観たことで、 2 年前に観た寺山修司企画 での藤田の演出をなぜまずいと思ったのかが分かった。演出の手段は基本的に、本作と全く変わっていなかったのだ。自分の土俵でなら効果的に機能しえた演出手法が、『書を捨てよ…』にはフィットしていなかったということか。とはいえホームはホームで全部これだと、何を観てもそんなに変わらない気も…


  1. マームとジプシーといえばこの“リフレイン”らしい。

  2. 阪神もまたひとつの都市空間ではあるけれども、より狭義の、それこそ東京でないと成立しない気もする。