『書を捨てよ町へ出よう』 / RooTS Vol.03 演出: 藤田貴大
「書を捨てよ町へ出よう」 東京芸術劇場www.geigeki.jp
2015 年は、寺山修司生誕 80 周年。その企画のうちのひとつ。
原作未鑑賞のため、原作のせいなのか上演台本/演出のせいなのか曖昧だけど、上演の端々できかれた「19××年代からの~…、このとき寺山さんは~…」といった具合のメタな台詞を鑑みるに、おそらく演出のアレンジで結構やらかしている。
- メタ台詞を、わかりきった感じで女優に喋らせているのもけっこうきつかった。演技指導の賜物なのか、女優が語っちゃったのかどっちなのか知らないけど。
ステージが独特で、舞台の上には大小の軽量鉄骨がバラして置いてある状態での開演。
進行に合わせて、そのときどきに手の空いている役者がどんどん鉄骨を組み立て、ばらし、組み替えていき、無機質な舞台装置をリアルタイムで構築していく。
当然ながら、がちゃがちゃうるさい。台詞の裏でもがちゃがちゃやる。無視するしかないんだけど、どうしても耳に入ってくる。少なくともこの素材と質量でやるべきではなかった。
さらにこの装置手法で一番まずかったのは、演出のひとつだったスクリーン投影と干渉する点。席によっては、スクリーン中の役者の顔あるいは字幕が、鉄骨プレハブの裏に隠れて見えない。見えなくてよかったものかというと、(この演劇自体が取るに足らなかった、ゆえに見る必要がない、という思考停止を除外すれば)決してそんなことはなかったはず。
加えて物語が断片的なので、失敗した実験演劇そのものという印象に。
- 寺山の若い頃の作品に若手演出家がチャレンジしたのかなと思いきや、もう決してそうとも言えない年齢だった。
序盤にスクリーン出演で又吉直樹が出てくるんだけど、カーテンコール後に再びスクリーンに投影されて、子どもの頃、テレビの中の宮沢りえと会話した瞬間があったという体験を訥々と語る。このネタはめちゃくちゃ笑った。でもこれは、あくまでピース又吉の話のストックなわけで、劇作家が最後のオチとして使うべきものではない。見事なまでに「劇場の座席に腰かけてたって、何も始まらないよ」1に対置されるエピソードで、よくこんな美味い材料を、引き出しとして持っていたなと思う。そのとき TV の前にいた又吉においては、確実に何かが始まっていたのだ。では、今回演出された芝居本編はどうだったか。
開演 2015-12-13 13:00
- 於 東京芸術劇場 シアターイースト
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「映画館の暗闇で、そうやって腰かけて待ってたって、何にも始まらないよ」 ― 映画『書を捨てよ町へ出よう』の冒頭の台詞。↩