『ちょっと、まってください』 / ナイロン100℃ 44th SESSION
「ナンセンス・コメディ」ではなく「不条理喜劇」として作った、らしい。
際立っていたのは乞食の父[みのすけ]の不穏さ。シリアス側の不条理は、みのすけ一人で引っ張ってっいたといってもいいほどとにかく気味が悪く、観ていて不安になる。
彼の声質によるところも大きいのだろう。
雨の演出が似合っていた。
対照的に、笑いの側は金持ちの父[三宅弘城]の独壇場。配役も纏う雰囲気も両極端に振ったな。
- 書いてて気づいたけど二人ともドラマーだな。
時間軸は破綻しつつもループを示唆するような構成。複数回鑑賞しつつメモ片手に観ないと、細かいネタや展開の方に注意が持っていかれて、因果がどう成立しているのか(あるいは成立していないのか)に関する考察は置いてきぼりになる。
メモが不要なほど明確にそのループからはじき出される、ペテン師[マギー]とメイド[小園茉奈]という異物構造はある。ループの中でペテン師は死に、メイドも退場する。この 2 人だけなぜ物語から排除されたのか?
- ペテン師は、その役名に反して劇中もっともマトモな人間であるように描かれる。メイドに関しても、劇中の立ち回りはそれに準じる。そのくらい金持ち家族は破綻しているし、乞食家族は悍ましい渦を背負っている。ペテン師は舞台と観客を橋渡しする“狂言回し”でありながら、(もう一度くらいちゃんと観ないと断言はできないが)金持ち家族と乞食家族が織りなす不条理な応酬に、本質的に介入できていなかったように思う。狂言が回せていないのである。“ペテン”という属性が霞むくらいに、板の上における“現実”は狂っていて、秩序がなく、因果律さえ有耶無耶。そのような現実の前には、“ペテン”が敗ける(敗けた)ということかなと思った。あるいは、その板の上の現実というのは、現実世界の現実であろうとも。
鑑賞面については、どうも冗長な印象が拭いきれず。途中、だれるシークエンスが結構あった。2 幕構成は必要かな?もうちょっと端折って 1 部構成で突っ走れなかったかな?というモヤモヤは残る。
スロウに演ることで醸し出せる空気感というのがあっただろうことは否定できない。
あとはプロジェクションマッピングの使い方が…ツカミに使えばそれでいいと思ってるでしょ2。
- 最後の“粉雪”のシーンではちゃんと粉が降ってくるという、古くからの演劇的演出に回帰して終わっている。ここは、プロジェクションマッピングではない。当然、プロジェクションマッピングでは成立する気がしない。
タイトルにも使われている「ちょっと、まってください」という台詞が劇中に 4-5 回ほど持ち出されるけれども、この台詞の使いどころについても、何故そこで使ったのか、が一度の鑑賞では理解しきれない。小難しかったな。メディア化されるのであれば3(複数回鑑賞に関する個人のポリシーに反するけれども)観なおしてみたい程度に引っかかりのある、気になる芝居ではあった。
開演 2017-11-25 18:00
- 於 本多劇場
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えっ、ソースを忘れたのかい。↩
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そもそも、プロジェクションマッピングの類を統一的に使いこなせた芝居は、(ナイロンに限らず)記憶にある限り多分まだ観られていない。↩
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【2018-11-22 追記】されてた。商品ページにあらすじも書いてある。 http://www.e-fanclub.com/cube/webshop/shohin.asp?Shocd=CU-CU-0450↩