公演中でもネタバレします。Google+ から過去ログも加筆移行中(進捗 7 割程度)。

『ハテノウタ』 / MONO

MONO「ハテノウタ」 | 北九州芸術劇場www.kitakyushu-performingartscenter.or.jp

設定

  • 高齢化が進むところまで進み、人の寿命が管理されるようになった社会。

  • 国によって制度化された延命技術(主に投薬とされる)によって、国民は外見を若々しく保ったまま長生きができるが、100 歳まで生きると“施設”に送られ、管理された一生を強制的にそこで終えることになる。

    • 保てるのは外見のみで、骨や内蔵には年齢相応のガタがきている。

    • 外見においても、老け方には個人差がある。

    • 延命技術の拒否を行う一派も存在するが、反対運動に荷担したことで謎の死を遂げてしまった教師もいたり。

舞台

まさにその日、施設に行かなければならない 100 歳になった男を送り出す 99 歳の若々しい友人たちと、ひとりだけ制度に抗って投薬を止め、老いることを選んだ同級生。そして施設に行く当人とが、小学校の教室を模したカラオケボックスで会した際の人間模様を描く、ワンシチュエーション演劇。

感想

  • 設定がハードになり得る強度をもっているだけに、演出の破綻ひいては鑑賞の破綻に伝播していくような、要素要素の詰めの危うい台本はこびが気になってしまった。

    • 若々しいのは外見だけで、筋力や呼吸器系は衰えている ― それこそ立ち上がるときにヨッコラショと言わないと辛い、という設定を出した矢先に、コミカルな演出特有のドタバタ場面で役者は機敏に立ったり座ったり…等。

    • もしかすると未来には、何かこういうシステムが出来上がってくるような気もしているけど、外見だけを保つというのも民意レベルの欲望な気がする。国家レベルでやるならそれこそ外見以外の劣化も防がないと1

  • …そういった矛盾を超越して成立する演劇も無くは無い。ただ本作に関しては、その齟齬は違和感として残った。同じ設定の下で、他の作家が本を書いていればどういう風になるのだろうか、みたいなことばかり考えて観劇していた。

  • 老いるという自然な営みが是とされなくなった体制社会にて、“生き物”らしさを守ろうとした恩師の不本意な死、その他もろもろをくぐって老いることのできた人間が紡ぐ“歌”だけが結局、予定された安楽死に向かう人を送り出せた、というラスト2だけは、ゴスペル系の強いボーカルができる女優のパワーでまとまる。これは、紛うことのない歌の力だし、かっこよかった。

  • 例えば ナイロン 100 ℃『消失』の再演 という文脈で顕現したような、“老い”のある種の悲惨さなんかは物凄く突き刺さったんだけど、この芝居で語られる老い=生きること、みたいな主張は、まずそこまで外見(のみ)と精神がリンクしうるのかがピンとこない。私は、作家の精神性や劇作が常に更新されていくのは、見たい。だから日々が流れていくのは吝かではないし楽しみですらあるのだけど、更新されるというのは、果たして老いていくということなのだろうか。

情報

演出
出演
施設に送り出される男
  • 金替康博
老いることを選んだ女
同級生たち
  • 水沼健
  • 奥村泰彦
  • 尾方宣久
  • 土田英生
  • 高橋明日香(客演)
  • 松永渚(客演)
  • 松原由希子(客演)
日時

  1. 特に日本のように、人口のピークを過ぎた国家においては。

  2. この横で呼吸器系をおかしくしていると言っていた人がぶっ倒れてそのまま亡くなったようにも見える描写が並行していたけど、あれはなんだったのだろう。結局は制度外の不本意な衰弱死も存在するんだよ、というのを最後の数十秒で取ってつけたようにバラされた感じがして、送り出された男もいる一方でこれは、ちょっと救いがない。