公演中でもネタバレします。Google+ から過去ログも加筆移行中(進捗 7 割程度)。

『デッド・ビート・ダッド!』 / 演劇企画CRANQ

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「爆笑×号泣の笑劇空間」(原文ママ)とのことであるが、セットは田舎の古民家をガチガチに作り込んであるストレート空間。開演前から縁側にて日本酒を呷るオヤジ1の風景。庭の桜を眺めながら突然おちょこを手から落っことし、息絶えるところでプロジェクションによるオープニングが始まる。

本編に入り、白石稔が出てくるあたりから声優の舞台っぽくなってくる。声がどこから出ているかとか、その声がどこに向かっているかとか、演出の肌触りとかは、ストレートな舞台美術とは層ずれを起こしている。原紗友里とか伊藤かな恵は完全にアニメ喉から声が出てる感じ。客層も小劇場とは異なる雰囲気で、恣意的なキャスティングの狙い通りなのかも。声優オタクと演劇オタクとの行き来は果たして、こういった場を介してどれぐらいあるのだろうか。

内容としては、オヤジが外で作って回った隠し子 3 人(?)が通夜にやって来て、陶芸家であったオヤジの遺した莫大な資産の相続を掻き回す、といったハートフル葬式コメディ。…なんだけど、非嫡出子の関わるハートフル遺産相続というのは万が一にも存在し難く、アニメ的展開に近いので、生身の声優をプラットフォームとしたアニメ、換言すれば 2.5D に近い。

“非”喜劇、たとえばシリアスを喜劇に変換するのは、あくまで壇上では真摯に展開される人間のやり取りを“第四の壁”を通して俯瞰した際に生じる、“メタ”の存在だと私は思っているので。露骨にドタバタすると、きっとストレートプレイではなくなるし、まあストレートに考えてこんな通夜は存在しないし、取り出せるメッセージは普遍性に還元しづらい。でもそこに突っ込んでもどうしようもなくて、ターゲティングの問題だと思われる。伊藤かな恵が女子高の制服を着用し、アニメ声で「お兄ちゃん♪」を連発すると、ある種の強烈な成立が発生する。白石稔が酔いつぶれた下田麻美の喪服の裾を箸でつまんだり、ルパン III 世みたいな配色のスーツを着て出てくることでも芸が立ち上がる。そういう場を楽しむべきだったのだろう。

キャスト陣は殆どが東京都出身で、長崎出身者に至っては皆無と思われるが、半分以上の役者は舞台設定に合わせて訛った言葉を扱っていた2。演劇界隈では、長崎の方言指導ができる特定の人間が重宝されているのかもしれない3

何をもって“家族”か、“相続”か、を考えるモチーフとしてのウルトラ兄弟、というのは分からなくもないけど、懐から全員でソフビ人形を取り出しててんやわんや、という制作側のリテラシーの見積もり方はどうかと…。

あと、悪い親を美談に仕立て上げるのは、たとえ死んでも、舞台の上であっても、やめよう。


  1. 演:一花徹

  2. 標準語を遣う役は上京したという設定。

  3. 【2019-12-24 註記】『母と惑星』 しかり、 『まほろば』 しかり。ただし、本作の方言指導に携わっている蒼井のぞみは、先に挙げた 2 作に関わっている指導者とは別人であった。

  4. 日替わり「酔っ払い参列客」が下田麻美の回。ちなみに、冒頭とラストにしか登場しないこの酔っ払いも最後にウルトラマンソフビを取り出す(=オヤジの 4 人目の隠し子である)、というのが作劇のオチ。