公演中でもネタバレします。Google+ から過去ログも加筆移行中(進捗 7 割程度)。

『ギャンブラーのための終活入門』 / 田崎小春が福岡に帰省してひとり芝居をする会

「じいちゃんの話をします」

mola-k.com

スコットランドが舞台の一人芝居。

サッカーくじに興じ続けた男の 1966 年から 1999 年までの足跡を、彼からの伝聞を取り入れつつ孫の視点から述懐していくというフォーマットです。自らが余命宣告を伴う膵臓の病におかされた事で、それまでサッカーの試合結果という他者のみを対象としていた賭けを自身の闘病、すなわち生き延びることに向けるという祖父の転機。それを過度な泣きを伴うことなく淡々と叙述しながら、同時に彼の最期の生き方を間近で感じ取り変化していく孫娘の心情をつぶさに追っていく、ティーンエイジャーの成長譚としての意味合いが強い戯曲のように思われます。そのため、邦題から発せられる「じじいの終活」という手触りとは趣もずいぶん異なり、どちらかというとジュブナイルのような、でもそれは決して青少年を対象とした感じでもなく例えば大宰治の『パンドラの匣』のような、当事者ではなくなってしまった年代のひとが青春を追体験して思い耽るための。そうやって考えると、少年(少女)の視点を借りて自らの人生の終わらせ方に思いを巡らせる、まさに邦題どおり「終活入門」に回帰するという、練られた訳題なのかもしれない。

賭け事につきものの確率、特に“くじ”なので先ずはオッズの話題から。試行の独立性から考えるとちょっとアレ?と思うような詭弁も「人間は必ず死ぬ」ということを前提とすれば、一生のなかで試行できる回数なんて数えきれないほど多くはないというふうに成立する。だからこそ負けても勝っても毎回、次の試合に欠かすことなく賭けという選択をすることそのものが大事なんだという話へ。そこから時には量子論的に、またある瞬間では因果律の側面をもって。終盤には、そこに自分が存在するという当たり前のような現実が天文学的なオッズの下に成立しているという孫娘の知覚と、余命を賭して癌と闘う祖父の中での“ギャンブル”の変容と不変とが対比されるように並列して、こう文字にするとクッセエんですけど、とてもエモい。治療室に入った祖父を残してぽっかりとした彼の家で“賭け”の勝利を信じる孫娘が中庭に出て、真冬の満天の星空を見上げながら茫漠とした宇宙の中の 1 滴のインクにも満たないような自らを想像するシーン。壁際 3 辺に 30 人を敷き詰めるとギチギチになるような小さなハコの電灯をそこでだけほぼ全て落とすんだけど、数少なく灯るオレンジの電球を照り返す役者の眼の向く先、無骨な天井のその向こうに濃紺満天の星空が“みえた”瞬間に、もうこれ完全に勝ちやろこの娘もわたしの芝居ギャンブル遍歴も、みたいなね。

演じていた田崎小春さんという役者がとんでもなく良くて、それは例えば戯曲に入る前に挿む、彼女が実際に会った変な(ただ者ではない)おじちゃんエピソード披露のときのちょっとつまづきながらふっつーに喋ってる姉ちゃん的風合いと、そこからシームレスに、するっと芝居に入ってくときに残る瑞々しい感覚、多少の加速度。後半特に多かった、骨格から顔つき変わってんじゃないのみたいな瞬間瞬間にはこれまた対照的な引き込みがあったし、なにより全編にわたって瞳から発せられる情報量が多かったのが素敵でした。一人芝居ですから、やはり観客に向かって問いかけることもあって、前述のように壁際コの字一列にぐるっと客が張り付いてるところへ、語り手として台詞のワンパッセージを丸々、目線の先にいる特定の客にシェアする瞬間が出てきます。日常会話なんかだと反らしがちな視線も、非日常の向こう側からバチッと合わせにこられると、こちらも、おうよって真っ向から相対したくなる。こういう現実離れした双方向性の魔術がいちばん働くのは、板の上に“他者”が一切いない一人芝居においてかもしれない。この仕上がりの空間をこの距離感で享受できるのって、まさに上京してる役者が帰省先でふらっと(しかしながら気合は入って)やるような、こういう場だからこそな部分もあるでしょう?と思う。これを最後に地方公演に行くことなんてそう多くはなくなるのかもな、とぼんやり考えていたけれど、これからも選択肢を狭めることはないようにしようと決めました。

ナマモノのチケットを事前情報なく取るのもだいぶ賭け事だけど、こういう体験をひいたときの旨味は筆舌に尽くしがたいものがありますよ。死ぬまで持ってく。死にたくないけど1


『A Gambler's Guide to Dying:ギャンブラーのための終活入門』
  • 戯曲 Gary McNair
  • 翻訳 小畑克典
  • 演出 田野邦彦(RoMT/青年団
  • 出演 田崎小春
  • 開演 2019-08-18 16:00
  • 於 konya-gallery

  1. あと認知も極力されたくはない。