公演中でもネタバレします。Google+ から過去ログも加筆移行中(進捗 7 割程度)。

『市ヶ尾の坂 ― 伝説の虹の三兄弟』 / M&Oplaysプロデュース 演出: 岩松了

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戯曲が内包する文学性の表出、のようであって、では文学性とはなんなのか、行間の存在とそれを読むこと?語りすぎず、曝け出しすぎない、それでいてその裏を駆け巡る膨大な情報量を読み手が掬い、指の間から滴り落としながらその砂の中に眠る何かを、目を凝らして見て取ろうとするような。決してそれだけが文学らしさではないのだけれど、戯曲が役者を通して芝居に変換されたときの端的に言えば、行間に対応する沈黙、静謐さ、間。それを強く感じさせるつくり。

麻生久美子がその耽美な芝居の中に凛と立っていて、例える言葉も見つけづらいあの佇まいは、観て!!としか言えない。なんだろうあれ。女と母親の間を行ったり来たりする中で、やっぱり終盤に見せる「叱る母」と「怒れる女」の綯い交ぜになったような、三男への感情の打撃が凄くヒリヒリ来る。

三兄弟は三兄弟で、少年のような幼さが(設定年齢のわりに)大きくクローズアップされていて、彼らの世界に母親が補完されていない感じを強く醸し出しているというか。終盤のカオルの怒りを引き起こす三男 学のガキっぽさ、もっといえば演じる森優作の見せたあの背中と怒り肩にめっちゃムカついて。それだけ自然な、迫真の演技だということであって、どこか少なからず俯瞰した視点が残っていることの多い観劇体験の中でも稀有な、完全なる引き込まれ。視覚から叙景的に入ってくる“本”の感じといってもいい。本当に変換に齟齬が無くて、想像力のパズルのピースをガチっと埋めてくる。それでいて裏で渦巻く文脈の量も物凄い。肩は語るけれど、言葉を以って喋ってるわけではないからね。

昨年の豪雨被害でやられた朝倉の三連水車が、復興の名を背負って間もなく動き出す、というような時期での再演。偶然にしてはよくできていて、なんだかそれすらもコンテクストみたいだけど、どういう経緯で再演を決めたのだろう。

花火大会の裏での取っ組み合いもよかった。本当に年齢不詳な感じの三兄弟。晩夏の香り。浴衣。ラストもブツ切りのようでいて、でもこの芝居の終わらせ方としてはあれ以外にない、カオルの浴衣からのぞく脚と、段上の彼女の浴衣姿を視て固まる三兄弟それぞれの表情。観客にはカオルの全身は見えてこない。兄弟らの表情すらも横顔で、半分は欠けている。あの機微、やられました。でもなんか意地悪すぎて笑っちゃいもするな。