『夜叉ヶ池』 / 演劇実験室◎万有引力
あらすじなど
泉鏡花作の戯曲を下敷きとした音楽劇。
過去、村の洪水を防ぐために行者と龍神が契約をした(龍神が折れた)。後世(現在)、村の住人たちは契約の履行手段が生贄と鐘撞きであるという点や契約(あるいは伝説)そのものの実存性に疑問を感じており、いい加減に夜叉ヶ池から離れて彼氏のところへ行きたい龍神との利害関係が一致しつつあった。人間側の内乱でついに契約が無に帰したので龍神が彼氏のところに行こうと身体を動かしたら、大洪水が起きて村が壊滅した。
まとめるとこういう話になる。泉が下敷きとした大元の話が龍神伝承の類なのであまり物語性は重視されていないが、契約、忘却するスパンの違い、死者の意思、などの教訓となる要素を全体に張り巡らした一本の芝居になっている。
万有引力あるいは生 J・A・シーザーへのデビュー
個人的なトピックとしては、これが大きかった。芝居の原体験は山谷初男の 『毛皮のマリー』 朗読だと思っているので、その原体験に通じる演出、音楽、そして美術に、生で触れることができたという感慨が大きかった。
書き下ろしのオープニング曲が流れてきた時には得も言われぬ興奮が全身を駆け巡ったのだけれど、音源化はされていないようで、ああいうかっこいい音楽劇の劇伴がその場限りの消費で終わってしまうのは勿体ないことだなあと思った。どのようにかっこうが良かったのか、すらも反芻できなくなっていく感覚が凄く気持ち悪いし、いやだな。
シアタープラッツ
シアタープラッツというハコはとても狭い。龍神たち“神々”の空間なども演出する以上、そのハコの狭さに違和感を感じる可能性がありえたのかもしれないが、実際は意識した小宇宙のような手触りがあり、逆にそれが良いと思った。演出・音楽・美術の統一されたパッケージング。
余談
モデルとなっている福井県南越前町の夜叉ヶ池は、魚類が侵入する余地が無かったのか肉食昆虫であるゲンゴロウが生態系の頂点に立つなど、少々特徴的な生物相があるようだ。
こういう池にも龍神伝説が発祥するんだなあ。ところで、登場人物の鯉七って魚の精じゃなかったっけ?