『毛皮のマリー』 / パルコ・プロデュース 演出: 美輪明宏
幕間を除けば暗転らしい暗転も記憶がない、密室劇的なワンシチュエーション演出。
第一幕は美輪明宏の調子があまり良くなく、台詞も聞き取りにくかった。やはりそこは御年 80 超、仕方がないものかと考えていたら、幕間をはさんで第二幕、時間を重ねるたびにノってくるノってくる。美輪明宏がいわゆる美輪明宏として急速に成立し始めるのと並行して、物語も頽廃的な大団円へ。
カーテンコール時にステージ奥から純白の衣装でゆっくりと歩いてくる頃には異様なオーラが漂い始め、出演者全員で下手→上手→正面とおじぎするあたりでそれは最高潮に。前列のおばさまがた1総立ち。スタンディングオベーション。すごい。すごいけどカーテンコール。もう少し早くドライブかかってたらとても良かったのに…
寺山修司作の戯曲では最も観てみたかった一作。天井桟敷プロデュースの『薔薇門』というコンピレーションアルバムがあり、J・A・シーザーの楽曲に乗ってホモ、ゲイ、オカマが好き放題うたう内容のラインナップの中に、毛皮のマリーの間奏部を朗読する山谷初男の朗読2がぽつりと入っているんだけど、これが段違いに好きで3。“芝居”の原体験4はこの朗読なのではないかと思うし、結果的に寺山戯曲や万有引力、美輪明宏を観に行っている点でも、それはおそらく間違っていない。
ということで、下男・醜女のマリー5が詠い上げる『間奏曲』部分は、どうしても圧倒的な山谷の朗読というリファレンスが存在しており、それと比べてしまう。今回のものはケレン味が強かったというかクドすぎたというか。
その山谷も出演しているという若い頃の美輪の出演版(初演?)も観てみたいが、歪な“母親”としての立ち姿は、齢すらもわからない感じにみえる今の美輪のほうがフィットするのかも。
全体的には、やはりオーラを纏ったあのカーテンコールに呑まれて終わり良ければ全て良しになりそうだけど、演出面、特に役者陣の今一歩おしいところを、要所要所の小ネタと後半にかけての美輪の加速で乗り切っている感じは否めない。ただ、あのオーラに呑まれてニヤリとしてしまう感覚も、悪くはない。