公演中でもネタバレします。Google+ から過去ログも加筆移行中(進捗 7 割程度)。

『こそぎ落としの明け暮れ』 / ベッド&メイキングス

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宗教団体をめぐる物語

との言及があるが、上演版においては少なくとも明確に出てくることはない。


交通事故で片足を怪我した姉[演:町田マリー]の退院日の少し前、かつて姉がしたためた「遺書」を、妹[安藤聖]は見つける。妹は、姉のその事故も自殺願望によるものではないかと考える。事故以来どこか変わってしまった、あらゆる「迷惑な人」「めんどくさい人」のお節介を笑顔で受け取り続ける姉が再び死に向かうのではないかと考え、妹は「崖っぷちに立つ姉を羽交い絞めにするような」行動を取りはじめる。姉は、妹のその介入だけは拒絶しようとする。

姉妹の通うその病院に出入りする害虫駆除業者。性格のどこかこじれた班長吉本菜穂子]、その扱い方に手馴れた年季の入る従業員[葉丸あすか]、そして新入り[石橋静河]。駆除を生業とする彼女たちの誰も、業務において駆除対象である害虫を見たことがない。虫好きの新入りは、虫を見たいのは当然であると主張し、見てもいないのに駆除できたという立証はできないと訝しがりもする。班長の独特の哲学、その衝突の果てに監督責任を放棄し仕事を休職した彼女の人生は、旅先の島で消耗する姉妹と交錯する。

妹の夫[富岡晃一郎]は「呪い」に導かれるように浮気を続ける。病院の看護師[野口かおる]と別れた後は、同院の売店員[佐久間麻由]と。その後は「歌」に、あるいは森羅万象に…。

姉妹は、班長は、男は、どこにでもいそうな「お節介焼き」な世間の人々[島田桃依]につつき回されながら、彼女たち/彼らの閉じた関係の中においても、マグロの中落ちがこそぎ落とされるかの如く消耗していき……


生きづらさを捨て切れない人がいて、語らないままひっそりと残していたものがいつか発掘されるとき、それが年月の経ったものであったとしても、見つけてしまった側は気にかけるしかない。崖っぷちでの羽交い絞めも、する側だって本当は面倒くさいのかもしれない。

「お節介」と「思いやり」の差。意識的か無意識的か、それを嗅ぎ分ける姉。「思いやり」が「お節介」よりも重荷になるフェーズ、あるいは人、事象。与える側の問題に見えて、受けとる側がどう感じるかの問題でもある。

班長と「虫」の、決して交わることのない関係性。それを「両想いです!!!」と断じきる浮気性の男。直前の張り裂けそうになる馬鹿げた命のやり取りも、帰結するのは歌謡、(歌謡曲としての)ブルース、あるいはバラードへ。

人が、少しの想像力で、信じる一歩を踏み出そうとする1、良い話です。わざとらしいくらいに昭和っぽい2けど、古い本をアップデートするかのようなちぐはぐさが無いぶん、こういったものの方がしっかりと入ってくる。

構造はいささか混沌としているけど、こういう芝居からはテイクホームメッセージを自分なりにひとつ持って帰ることが出来ればそれで充分だと思っていて、それは小難しいことなんかでは、決してない。少しの想像力で、誰でも、それぞれが手に入れられるのだ。

追いつめられた姉が吐露する、

道筋を辿り直せるほどこれまでの人生は短くもないし、そこから新たな道を切り開いていけるほどにはもう若くない

という台詞(要約・意訳)にウッとなった。こそぎ落とされながらも、そこから復元するための力をどこかに求めたい3姉の物語かなあ。

福原充則、初めて観たけど好きかもしれない4。世の中まだまだ芝居がある。

あと、富岡晃一郎、良すぎ。シャムネコ撫でたい。



  1. 姉がそうである一方で、班長は想像力のみで飛翔していた状態から、現実に目を向けようと炎の中へ足を踏み入れる。妹の旦那は一生その尊い想像力、もとい呪いの中で生きるのかもしれない。

  2. クライマックスで電車『人間のバラード』がかかるときは、やりすぎだと思う一方で、ぐっときてもしまう。早川義夫のカヴァーってのがいいんだ、これが。

  3. だからこそ彼女は死ぬことができない。

  4. 本当に青山円形劇場での『サナギネ』を観ておけば…。