公演中でもネタバレします。Google+ から過去ログも加筆移行中(進捗 7 割程度)。

『朝日のような夕日をつれて2014』 / KOKAMI@network vol.13

www.thirdstage.com

舞台

立花トーイの世界

倒産寸前に追い込まれた玩具会社で、社長[演:小須田康人]が企画部長[大高洋夫]に対して新商品プロジェクトの進捗の悪さを突っつきまわしている。

部下の研究開発員[藤井隆]と製品モニター[伊礼彼方]は、街頭で少年[玉置玲央]にインタビューを試みるが、頓珍漢なことしか回答してこない。モニターは、今や消費者自身がマーケットリサーチャーのようになってしまい、自分達が本当に何を欲しいのか分からなくなっているのではないかと考える。モニターは社長の愛娘のみよこにアプローチがてら、更なるリサーチに必要な情報を収集する。

近年、おもちゃはインターネットへの接続という機能を取り込み、ソフトウェアやハードウェアの進化も相まった結果、バーチャルリアリティというひとつのゲームジャンルを台頭させてきた。研究員は開発中のバーチャルリアリティゲームをみよこに体験してもらい、商品化の成功ひいてはヒットへのヒントを得ようとする。社長や部長も交えたディベートの中で、昔はリアルからの退避場所のようであったはずのインターネットが、ソーシャルネットワークの発展によってリアルと大差ない、気遣いと攻撃だらけの世界になってしまったという結論に至る。

ならば、リアルを気にしなくていい新たなネットワーク空間を、バーチャルリアリティの中に構築すればいいのではないか。決して自分を攻撃することのないソウルメイト達とのバーチャルな生活、「ソウルライフ」。「ソウルライフ」のリリースに向けて、各人はみよこを巡る駆け引きを続けながら業務を進めていくが…

ウラヤマとエスカワが遊んでいる世界

ゴドーを待ち続けて数十年。今日もウラヤマ[大高洋夫]とエスカワ[小須田康人]は、ゴドーを待つ間、様々な暇つぶしを試すように遊んでいる。

ゴドーのお使いの少年[玉置玲央]がやってきて、ゴドーは今日も来られないと伝言を告げる。

ウラヤマとエスカワは遊びに夢中になり、ゴドーのことなんかどうでもよくなってくる。少年は隠し持っていたもう一通の伝書を取り出し、読み上げる。

「前略、私がゴドーです。行きます」

ゴドー[藤井隆]がやって来る。待ち続けることに疲れたウラヤマとエスカワは、ゴドーを放り出して帰ろうとすらする。すったもんだしている間にもう一人、ゴドーを名乗る人物[伊礼彼方]が来てしまう。少年もそのすったもんだの輪に入りたくて仕方がない。

ゴドーを待ちながら』の世界

「ゴドーは、来ないんだね」

精神病院の世界

少年の姿をした医者が問う。

「みよこは、どうでもいいのか」

名無しの男達 4 人は、みよこが来ないことに気がつく。

まとめ

筋道だったあらすじのようなものは無く、この 4 つの世界が目まぐるしく交錯しながら話が進む。5 人の男が 2 時間ひたすら時事ネタ・小ネタ・ギャグを回し続ける超速テンポ1の芝居で、このテンポと脈絡の無さを面白いと思えるかどうかで好き嫌いが二分すると思う。

所感

  • 前提としてこの 2014 版鑑賞後に第三舞台全集 DVD を買って、異なる年代の『朝日のような夕日をつれて』上演を更に 3 バージョン鑑賞している。

  • 鴻上尚史主宰の劇団「第三舞台」立ち上げ時から、かれこれ 30 年は上演されている鴻上の代表作。

    • 第三舞台解散後としては初の再演。メインキャストの大高・小須田以外の 3 人を刷新し若返らせての、17 年ぶりの再演になっている。
  • 20 代の頃から部長・社長を演じてきた大高・小須田はすっかりその役職に適切な年齢になっている一方、年齢不詳感のあるウラヤマ・エスカワに求められる最適な雰囲気からは遠ざかった印象をうける。

    • 身体を使って遊び続けるウラヤマ・エスカワの役に求められるバイタリティ的にも、オリジナルキャストを含んだ『朝日』はこれで最後だろうし、大高・小須田のいない『朝日』はおそらく、少なくとも鴻上自身によって上演されることはないと思う2
  • 2014 年ともなると、第三舞台期には神話的な抽象感のある未来予測として成立していたバーチャルリアリティが、いよいよ大衆消費市場にアプローチできるプロダクトとして具現化しつつあった時期。

    • これは鴻上の戯曲全体に言えることだけれども、現実が追いついてきてしまったことによるハッタリの効かなさというのが、時代を追うごとに出てくる。それによる現実に寄せた設定3への修正、その修正による戯曲の魅力の食いつぶし、がこの『朝日』においても顕著になってしまったな、と思う。

      • こうなってしまうと、観客を満足させうる要素というのは「若い頃に観た演目がまた生で観られて懐かしかった、良かった」くらいのものしか残らなくなるのではないか。

        • 事実、以前のバージョンと比較してどう思ったか、あのネタ/台詞がまた観られて/聴けて良かった(あるいは観られなくて/聴けなくて残念だった)、全盛期の勝村政信筧利夫と比べてゴドーのキャスティングや演技はどうだった、などといった感想が非常に多い。

        • 同じテーマであろうと、劇作家には新作を作りつづけていてほしいと思う理由のひとつは、ここにある。

      • 全盛期のバージョンはいま観ても普通に面白い4し、変に現実に設定を寄せる必要はないのではとも思うが、おもちゃの進化と生物の進化の対比をテーマのひとつに据えている以上、再演するならばバージョンを更新しないわけにはいかないという難しい事情がある。

  • 今回の玉置少年は、伊藤ちゃん少年よりは京少年に近い雰囲気を、端正な身体から繰り出す運動神経でドライブさせていた感じ。

  • エメラルド色のスーツが似合う藤井隆の佇まいは、ゴドー 1 としては意外とアリ。

日時


  1. さすがに ‘91 版のように全員が若く、かつ客演を一切含まないバージョンと比べると、2014 版はテンポが落ちている。

  2. 【2018-11-04 追記】なんと 2018-11-06 から再演されることになった。オリジナルキャストは不在で、完全刷新された W キャスト。また、演出も鴻上ではない。 http://www.stagecompany.co.jp/asahiyuhi/

  3. 例えば、Oculus Rift という具体的な商品名が、ソウルライフを実現するためのプラットフォームとして出てくるのだが、こういった瞬間にものすごく醒めてしまう。

  4. アーカイブを観ているという割り切りが視聴者側に備わっているからだとも思うが。